鹿島美術研究 年報第6号
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i幹本とがあり,前者も中国的な色彩の強い絵巻として知られるが,今問題とするのは後者である。その理由は,この伝絵が入元僧の企画制作になることが明らかになったこと,そして画家についてもある程度推測可能であることである。(このことについては,昭和63年6月美術史学会西部会例会で発表)。要約して述べると,この浄土五祖絵は,重要文化財に指定された五巻のほか,旧久保家蔵の一巻の存在が知られ,探幽縮図中にこれらと一連の浄土五祖絵を写したとみられるものがあり,これらを整理すると,現存するのは五祖のうち曇壼,道綽,善導の前三祖の行状を描く部分で,これだけで少くとも十巻を成していたこと,探幽縮図に採られた結文から,この絵伝の撰者が澄円であること,そして人物や樹木の描法,構図など画風が,東寺本弘法大師行状絵の前四巻をになった。この浄土五祖絵における中国絵画との関係について考えていくが,中国絵画の導入を端的に示すものとして,まず水墨画中画を採り上げる。現存の六巻に描きこまれた水墨画中画は全部で18図あるが,これらの画中画を観察するとき,二つの点が目をひく。一つは画中画にその全容を見せるものが多く,図様としてもまとまっていることである。例えば,某家蔵善導第二段(金剛法師との宗論)に描かれる山水図(前景に水景と樹叢のある土域,遠景に屏風を立てたような岩山を描く)や,藤田美術館蔵善導巻第一段(善導の誕生)の衝立の山水図(前景に二艘の漁舟の浮かぶ水景と樹叢のある土披,遠景に雲霞を隔てて遠山を描く)などはその代表である。もう一つは,これら18図の図様が相似していることで,上掲の二図のうち,前者は某家蔵善導第三段(阿弥陀来現)や,藤田美術館蔵道綽巻第一段(道綽の剃髪)に見られる図と相似し,後者は同段(道綽の出家)や藤田美術館蔵善導巻第五段(道綽の観経購説)などにいくぶん形を変えたり,一部を霞に覆われながら描かれる。そのほかの画中画も基本的にモチーフに差がなく,旧久保家蔵羹鶯巻第三段(曇鷺と王の対話)や,某家蔵善導巻第三段(聖僧の指授)に見える雪景山水図においてさえ,この事情は変わらない。唯一これらと大きく図様の異なるのは,藤田美術館蔵善導巻第五段(善導,道綽に入門)に描かれた水辺芦図の障子だけである。これらのことから,この浄土五祖絵の画家は,数少ない舶載の水墨画を画中画に再構成して描きこんだことが推測される。そして,その図様や描法,例えば輪郭周辺を濃くして内に向ってぼかされる土披,点描で葉をあらわした樹叢,中景に大きく空間した祐高法眼と相似し,南部絵師の関与が考えられることが明らか156-

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