遠山)は絵を媒介としてそれを眼のあたりにできると彼が考えていたからである。絵巻にあらわれる中国絵画の影聾の問題はむろんこの一点に尽きるものではなく,さらに研究を要するが,一つの典型的な例として浄土五祖絵の場合について調査,考究の結果を報告しておきたい。25.九州在銘彫刻研究研究者:九州歴史資料館(太宰府町)参事補佐八尋和泉研究報はじめに九州の仏像彫刻における規準作品の把握である。規準作品としての在銘彫刻の所在確認銘文採録,写真収集など,各時代にわたって行った。その目的は九州の仏像の内における位置づけ,あるいは九州内における地域的な特色を知り,九州の美術史を考察するための基本資料とするためである。この度の調査による成果の主なものを,各時代の概況把握のなかで,今後の課題を含みながら報告したいと思う。1.平安時代以前平安時代までの在銘彫刻は,九州においては奈良時代の金銅仏1件平安時代の在銘像11件であるが,平安時代のものには,制作年が記録から確かめられる観世音寺丈六像2謳を含む。そして平安銘像には銅板鎚起像と発掘の滑石製仏像とが各1謳含まれている。そのほか在銘に準ずるものとして,伴出の経筒などから制作年を推定できる滑石製浮彫りや小金銅仏,あるいは板碑浮彫りなども加えれば5件ほど追加できるが,時代判定の援用にあたっては個別に遺品の性格を知る必要がある。平安時代までの在銘像の今後の発見は,急激な増加は望めない。それ故,積極的な探索により新資料の発見を期すとともに,在銘像そのものの精査と在銘像の在り方を詳細に考察することが今後の主体となろう。在銘像の在り方の問題にひとつに,在銘像をもたない時期について課題がある。九州の平安時代木彫在銘像は,11世紀半ばから12世紀半ばまでの80年足らずの間のなかにある。それ以前の9,10世紀の平安仏が少ないことは別の問題としても,在銘像が12世紀後半に途切れる状況をみせる九州地方の仏像彫刻の在り方は,いくつかの問題-159
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