28.ロレンツォ・ギベルティ著「イ・コムメンタリィ」と著者及び14世紀美術家達の作品との関係研究者:玉川学園女子短期大学助教授西山重徳研究報昨年夏財団より戴いた助成金を旅費として,フィレンツェを中心に,ヨーロッパの数都市を訪れることができた。研究テーマのギベルティの『イ・コンムメンタリイ』に関係する幾つかの作品を目にすることができたほかに,フィレンツェでは,ドイツ研究所で若干の文献を読み,かつ,コピーを取ることができた。また,同市の国立図『イ・コムメンタリィ』の残存する唯一の写本と,ブオナッコルソ・ギベルティの『ツィバルドーネ』を閲覧し,マイクロフィルムを注文することができた。(ただし,『ツィバルドーネ』のほうは,稿本を直接閲覧することは,書物保存の配慮から可されておらず,マイクロフィルムを機械を通して見ることだけができた)なお,この旅行の間と,これに前後する若干の時間を,本来の研究テーマとは別の,ある一つの問題について論文を纏めるために費やすことになった。(『アダムの右脚一イタリア・ルネサンス期の「楽園追放」図とその伝統的要素ー』,早稲田大学美術史学「美術史研究」,第26冊,昭和63年。)この論文に関係する幾つかの作品も目にすることができたが,中でも最大の収穫は,マサッチオのブランカッチ礼拝堂の修復中のを実見し得たことである。これは,若山映子氏のアドヴァイスと,ウンベルト・バルディーニ氏のご好意と,そして,何よりも,財団の助成によるところの旅行によって可能となったものであり,関係者に対して心から御礼を申し上げたい。およそ,何かある文献が歴史の構築の一つの手掛かりとして利用されるためには,その文献がどの様な意図で書かれたものであるかがまず知られなければならないであろう。さらに,ロレンツォ・ギベルティの『イ・コムメンタリイ』の場合のように,もはやオリジナルな手稿がもはや存在せず,写本によってのみ知られているときには,その写本をどの様に扱うべきか,充分批判的な目が必要である。ギベルティの執筆意図や,現存写本の性質および,想像される原手稿の状態についてはすでに別なところで論じたことがある。この研究は,『イ・コムメンタリイ』を歴史的に重要なものにしている点の一つである,その第二部における,14世紀の美術家,およびその作品についてのギベルティの記述や,ギベルティ自身の作品についての証-169-
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