鹿島美術研究 年報第6号
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き,ギベルティの判断にアムブロジオのこの壁画は深く関わっているに違いない。一方,ギベルティがシモーネ・マルチーニの物語的作品として言及しているのは,シエナのスペダーレ・デルラ・スカーラの正面に描かれた聖母の物語の中の二場面だけである。ところで,この壁画が本当にシモーネの作品であるかどうかは疑わしい。17,18世紀の文献によれば,壁画には次のような銘文が見られた。Hocopus fecit Petrus Laurentij アムブロジオ・ロレンツェッティについての記述は,ギベルティ自身の作品についてのそれを除けば,ジオットに関する記述を凌いで,第二の『コムメンタリオ』で取り上げられた美術家達についての個々の記述の中で,量的に最も多い。しかしながら,それにもかかわらず,件の銘文に記された,その兄弟のピエトロ・ロレンツェッティについては一言も述べられていないのはなぜであろうか。そこにギベルティの芸術的な価値に対する判断が働いているのであろうか,それとも,単純にビエトロの存在を知らなかったというのがその理由であろうか。(G.Ercoli, Il Trecento senese nel ティがアムブロジオについてmoltoperito nella teorica di detta arteと語るとき,そのteoricaという言葉を国際ゴシック様式の原理にしたがって,加算的自然主義natur-ジオの様式とも類似する,と述べ,ジオット的な原理に従うピエトロ・ロレンツェッティと対比させている。そして,ギベルティがピエトロに言及していない理由については,ピエトロの作品がギベルティによく知られていなかった可能性を認めつつも,ギベルティのアムブロジオヘのより大きな共感が,ピエトロについての沈黙に関係していると主張する。)この問いに対しては,先ず,つぎに述べるような理由で,ギベルティにとり,ピエトロの存在が不明であったのではないかという推測に導かれる。ギベルティは『イ・コムメンタリイ』の中で言及している美術家達についてその繋累や師弟関係に無関心ではない。ジオットはチマブーエの弟子であり,そのジオットにはステーファノやタッデオ・ガッディを始めとして多くの弟子達がいたこと。オルカーニャには三人の兄弟がいて,そのうちのひとりは画家のナルドであり,もう一人も画家で,残る一人はあまり能力のない彫刻家であったこと。シモーネ・マルティーニと一緒に仕事をしている画家にフィリッポがおり,この人物を人々はシモーネの兄弟であると言っている~entgrz di Lorenzo Giberti, Lorenzo Ghiberti nel suo tempo, 1980,は,ギベル& Ambrosius eius frater 1335. arismo aggregativoという意味で用いていると解し,それは,したがって,アムブロ-171-

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