鹿島美術研究 年報第6号
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evvi dipinto molto popolo dentro e di fuori. Sonvi i sacerdoti all'altare, come essi fanno sacrificio. Questa istoriaさmoltocopiosa e molto eccellentemente fatta. Ascesi nell ordine de'frati minori quasi tutta la parte di sotto,もう一つは,ステーファノについてのNellachiesa d'Ascesi e di sua mano cominciata una gloria fatta con perfetta e grandissima arte, la quale arebbe. se fosse stata finita, maravigliare ogni gentile ingegnoである。ステーファノの,ここに言及されているロレンツェッティに帰したのは,カヴァルカゼルレである。しかし,この作品の作者が誰であれ,この作品群の中でも多様な人物群によって図の下半分が埋められた「傑刑」のごとき図は,ギベルティにとって,大いに興味ある作品ではなかったであろうか。何故なら,ギベルティはアムブロジオ・ロレンツェッティの,シエナのサンタゴスティーノ聖堂参事会堂会議所の失われた聖カテリーナの物語を描いたフレスコの一場面について,次のように述べているからである。(そこには,神殿の内側に群れる大勢の人物が描かれている。祭壇近くには神官達が見られ,犠牲を捧げている。この物語絵は非常にたくさんのものを描き込んであり,大層見事な出来である。)ギベルティがアシジのサン・フランチェスコ聖堂に結び付く作品に言及しているのには二箇所であり,一つは,ジオットについての曖昧な記述Dipinsenella chiesa d' 作品は,ヴァザーリの述べるところに従えばサン・フランチェスコ聖堂下堂に描かれた作品ということになる。いずれにせよ,この聖堂が上下二階構造になっていることは,ギベルティの記述のどの部分においても明瞭に語られていないばかりでなく,既に述べたように,同聖堂内のシモーネ・マルチーニのフレスコについても,ピエトロ・ロレンツェッティのフレスコについても何も語られていない。以上のことから,引き出される結論は,ギベルティのアッシジに関する情報は必ずしもfirst-handの情報とは見倣し得ないということである。かつて,筆者はギベルティの『イ・コムメンタリイ』執筆の根本的な動機を探って,それがア)ピ勺レティをも巻き込んだ絵画と彫刻の比較論的文脈の中にあると考えるに至った。しかし,『素描を絵画と彫刻の基礎とするギベルティの思想が,ア)い勺レティという触媒を得て生まれたものである可能性は充分あるものの,この推測は,それを支える確たる事実に欠け』(「クワットロチェントにおける絵画と彫刻の比較論」,アガルマー~昭和57年)ていた。(クラウトハイマーもす-173-

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