力は次第に失なわれ俗化していくのであるが,一蝶画に登場する人たちにはその俗にまみれる哀しさやうさん臭さといったものは見られず,むしろもっと温かみのある眼で庶民に生き続ける神仏に仕える者の姿としてとらえており,信仰する者の屈託のない明るさが強く感じられるのである。また「傘」が器物意匠として小袖などに用いられた時代でもあり,「傘」の流行を敏感にとり入れたものとも言えるし,郡司正勝氏の『風流の図像誌』の説をお借りしてうと,「傘」は神の依代であり,破れ傘は「破戒」を意味し,僧侶が持てば破戒僧として山を下りて放浪する姿を象徴しているともとられる。また牡笠や袖をかざして顔をおおっても手拭で頬冠をしても,傘や笠のやつしとして神霊の力を迎える行為としてとらえることができるのである。「雨宿り図」の他,傘を描いた作品に「蟻通図」(個蔵)や「傘人物図」(大倉集古館蔵雑画帖」内)・「垣朝顔道中傘図」(茨城県立歴史館蔵「風俗画絵鑑」内)などがあげられる。ここで一蝶に大きな影特を与えた芭風俳諧にみる「雨」と仏教観についてふれておきたい。「暁雲」という俳号を持ち,其角や嵐雪と親交を保ち蕉門に俳諧を学んだと伝えられる一蝶の俳趣あふれる機知的側面は,一蝶作風を特色づける大きな要素である。俳諧には「雨」は本情としての理念の伝統があり作品も多いが,大方は「時雨」をテーマとした。宗祇の「世にふるは更に時雨のやどり哉」の句をおもって芭蕉が「世にふるも更に宗祇のやどり哉」の句を作ったことは有名である。この句には宗祇に想いを寄せる心,そして日本人が脈々と持ち続けた感情的な伝統がみられるのであるが,そこにはかなりの宗教性・精神性が内包されている。雨が降ることと,人の世の経ることを懸け,世に在り経る身の程をしみじみと歌っているのである。さらに,「物売りの尻声高く名乗すて」(去来)の前句から「雨のやどりの無常迅速」(野水『猿蓑集』)の句が,一蝶の「雨宿り図」とも共通する束の間の人生,人と出会いと別れの繰り返されるはかない人生観を詠っている。一蝶の雨は冷たくそぼふる時雨ではなく,突然猛暑をいやすかのように降る暖かい雨なのではあるが,突然降り出しさっと上がってしまう一瞬の出来事で,仮のすみかでしかない短い人生や無常の時を象徴するものと考えて良いであろう。一蝶自身の「北窓翁英一蝶」の名も荘子胡蝶の夢に因んだという説もあり,また芭蕉も夏のみ盛りに茂る「芭蕉」をあえて名としたことから,二人の内面にある共通した人生観をうかがうことができる。また,「雨宿り図」制作の契機となったのではないかと考えられる「夕立や田を見め-177-
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