ぐりの神ならば」(其角・『五元集』)という句がある。鳥居清長筆「三囲の夕立図」(東京国立博物館蔵)はこの句の故事に因んで制作されたことが明らかで,雨雲中の着物姿の鬼神が其角の句の短冊を見ているという趣向である。其角は二本榎の法華宗系の上行寺に葬られるが,一蝶の墓所承教寺塔頭顕乗院とも近い。「妙なりや法の蓮の華経」や「散さくら同じ宗旨を誓ひける」といった句などから,法華経あるいは日蓮宗信仰がいわれる人物である。同じく朋友として伝えられる嵐雪にも「鶯や弓にとまりて法の瞥」という句があり,やはり法華信仰がうかがえるのである。次に「雨宿り図」転用の例を浮世絵に探してみると,広重の「木曽街道六拾九次」の内「須原」の雨宿りが一蝶の雨宿り,特に「田園風俗図屏風」(サントリー美同じ館蔵)中の雨宿りの作風と酷似していることに気づく。種々に雨を描き分けるうちにいよいよ構図に困って一蝶画の「雨宿り図」を借用したのであろうか。いずれにせよ一蝶画学習は確かである。広重に先行する一蝶の果たした役割は非常に大きなものであると言えるであろう。一蝶にとって「雨宿り図」は,自らの殻を打ち破り狩野派を乗り越え,師宣をも乗り越え,ょうやく独自の世界を打ち出すきっかけとなった作品である。そうして今度は師宣に続く浮世絵の後継者たちに,一蝶の本領とみなすべき作品として高く評価され転用されていった。『梁塵秘抄』(法華経二十八品歌,薬草喩品82)に「われらは薄地の風夫なり善根勤むる道知らず一味の雨に潤ひてなどか仏に成らざらん」という歌がある。誰もに平等に雨が降り注ぐのと同じように仏の教えが与えられることを詠んだ歌である。一蝶の「雨宿り図」には,降りしきる雨を人生になぞらえた一蝶の人生観が流れていると同時に,この一味の雨のふる庶民信仰の色濃い作品であると考えられよう。「雨宿り図」と同様に,一蝶が好んで描いたもう一つのテーマは「乗合船図」である。様々な人間が乗り合わせた水上の船は,運命共同体的空間を自然と作りあげてしまう。万物に降りそそぐ一味の雨と同様に,船は乗り合わせた人々を同じ目的地に向かって運んでいく。「乗合船図」(東京国立博物館蔵)に描かれる人間は,船頭や武士,按摩の他に,やはり西行風の僧侶・獅子舞・山伏・事触れ・順礼・猿曳や勧進僧である。一蝶にとって登場人物は,人々の祈りを集めて歩く者たちでなければならなかったようである。その他,「賀茂競馬図」(Dr.Walter A. Compton Collection)に集う見物客もまた同じことが言える。一見ありうるようで実際にはほとんどありえない光-178-
元のページ ../index.html#204