鹿島美術研究 年報第6号
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景が描かれているのである。そこに描かれた空間は,船上でも武家屋敷の門前の庇の下でも良く,そうした人々が集まることでまるで後光を放つように聖なる空間ができあがったのだと考えたい。「四季日待図巻」(出光美術館蔵)は,その款記から鏑居中の作品であることが知られている。本図は一夜を徹する人々の「遊び」を中心とした絵画とみなされがちであるが,ここでも山伏風の修験者や祈躊師が別室で祈疇するところが描かれている。日待とは本来,特定の日に信者が集まり連歌・楊弓・囲碁などをして徹夜し,朝を迎えて所願を祈るというものである。近世の日待講が世俗化して宗教的性格がうすれ,遊楽中心の華やかな親睦の場となっていることは本図からもわかる。しかしもともと同じ信仰を持つ者の集団の結束を高める性質のもので,一蝶が江戸にあってある屋敷の日待講に参加していたことがわかるのである。そして「右活達風流之一巻因交友之需」と款記にあるが,そのなつかしい思い出の制作を依頼した其角や嵐雪を含む友人の存在は,また流鏑中の一蝶を支え露命をつないだ人々のサークルであり,講的な性質を有するものであったのではないかと考えられるのである。当時の信仰の諸相をうかがうにあたって,最も重要な作品が,「三社神影図」(根岸競馬記念公苑蔵)である。雨宝童子と鹿に乗る束帯姿の翁に化現した春日大明神,壮年の馬上の武士八幡神の三神影が描かれている。春日社が鹿島社の末社であることや,藤原氏の氏神であることから,一蝶が「鹿島の事触れ」や「鹿島踊り」をよく描いていることも鹿島信仰,ひいては春日信仰と無関係なことではないのかもしれない。また横井也有の賛をもつ「琵琶に萩図」(個人蔵)も琵琶の撥面に全泥で鳥居が描かれ,日社と鹿を見立てた作品である。一蝶画に琵琶法師や座頭が多く描かれていることも,春日信仰との関わりや荒神信仰・八幡信仰との関連を示すもので,琵琶法師や座頭などの盲人が単に都市風俗のーモチーフとしてでなく,春日・八幡信仰を象徴するモチーフとして選ばれたのではないかと考えられる。また八幡神は火の神・電戸の神といわれ、「霞戸払い図」(個人蔵/茨城県立歴史館蔵「風俗画絵鑑」内)や「雨宿り図」などに登場する鈴を持った巫女も,荒神信仰や八幡信仰の表現と言えるのではないだろうか。「三社神影図」の画面上半分に書かれた「三社託宣」の「雖食鉄丸不受心稿之人物雖坐銅烙不到心濁之人慮」(八幡託宣)の神意には,心の稿濁に対する「不受」「不到」といった強い破邪的な性格を見出せる。法華信仰の純粋性を貫いた日蓮の不受不施思_179-

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