親しみが,一蝶作品にはあふれている。貧困や病に対する抵抗や信仰統制の鬱屈を,神仏混合の信仰と祭りで消化させていった庶民の姿が描かれているのである。以上,一蝶作品にみる不受不施的な部分,その他様々な信仰の諸相をうかがい,蝶の作風について再検討をおこなったのであるが,風俗画家としての一蝶の限界としてみられた「細み」の原因が,こうした信仰に関わるものであること,その欠点ともみなされがちな上品さを一蝶本来の特質として評価されるべきであることを確認した。本研究については,今年一月二十八日美術史学会西支部例会において「一蝶画にみる民間信仰の諸相」と題し,その成果を発表することができた。今後ひき続き,二代目英一蝶作品混在の問題を含む英派全体の展開について研究していく所存である。31.狩野山雪とその後継者の研究(共同研究)研究者:大和文華館学芸部課長研究報告:日本近世の画人で近年脚光を浴びてきた人物に,狩野山雪(1590■1651)がある。彼は桃山時代の巨匠狩野山楽(1559■1639)の門人であったが,師の長女の婿になり,いわゆる京狩野の二代目として江戸初期に活躍した画家である。これまで山雪は山楽の陰にかくれ,その追従者と見られ,その芸術が正当に評価されることはなかった。大正時代までは彼の業績に関する研究はほとんど見られず,したがって遺作として知られるものも少なかった。土居次義氏は障壁画研究の過程で多数の山雪画を発見され,辻惟雄氏は土居氏が紹介された山雪画を通観し,そこに山楽とは異なる特異な個性を見出し,その価値を明らかにされた。両氏の研究を契機として,山雪及びその後継者(京狩野派,曽我繭白を含む)についての関心がたかまってきた。私は,共同研究者である藤田伸也(大和文華館),城野誠治(大和文華館),奥平俊六(大阪府立大学)とともに,大和文華館館員として1986年秋に同館で開催された「狩野山雪」展の計画と実施にあたった。この展観が切掛けとなって,あらたに山雪およびその後継者に関する伝記資料と作品資料が見出された。たとえば,京狩野の子孫の家に伝わる「山楽山雪水帖」は,屏風や襖絵の小下絵縮図類であり,かれらの大画面制作の在り方,画風の伝承の在り方を知る貴重な資料である。そのうち,いくつかの実物の存在が確認された。私達は継続してその資料の蒐集に努めている。林進_181-
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