鹿島美術研究 年報第6号
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32.マンセル。システムによる日本画用絵具の分類ー岩絵具を主体として一中国の画史画論書の蒐集と研究,『本朝画史』の編纂はその実践であるといえる。朱子学の影響はそればかりではなく,自身の絵画制作にも及んでいるのではないか。「其遺蹟ヲ見ルニ父山楽卜画体遥二異ニシテ世人ノ意表二出タル図多シ」(『扶桑画人伝』)とあり,山雪画の特異性を語っている。「当麻寺縁起」(寛永6年)や「天球院方丈画」(寛永8年)には,まだ山楽下の桃山画風の香りが残存しているが,以降の作品には山雪固有の感覚が現れてくる。山雪の山水画は,一つの秩序のもとに理知的に構成されており,人工的かつ技巧的である。ちょうど島台(婚礼の席や廊の遊女と客の間に置かれた蓬菜島の箱庭の台で,神の座である)や盆景を見るときに感じるのと同じ感覚がする。しかしその画をじっと見ていると,いつの間にかその世界は拡大されて,深山幽谷となり,亭々たる幾千年の老樹となってしまう。ある理想的な相を呈して顕示してくる。それは人間の理想境,仙境の片鱗を垣間見せてくれるのである。この山雪画の特質は,完全な秩序をもっているのが天理であると説く朱子学の精緻な唯物的な実証哲学からきているのではないだろうか。(一方,林羅山の朱子学が江戸において近世狩野派というアカデミーの確立に影響を与えたことは重要であるが,ここでは述べない)。しかし,山雪画がすべて朱子学の思想で規定できるものではなく,むしろ重要なのは,朱子学という理想的な枠組における山雪自身の心の葛藤である。ときには精神の痙攣を呼び起し,天祥院旧蔵の「老梅図襖」や真正極楽寺蔵の「寒山拾得図」に見られる奇矯な作品を生むことになる。最後に,山雪の代表作である「雪汀水禽図屏風」(京都・個人蔵)について少し触れておきたい。この画は前の「盤谷図」にも描かれた「沖の小島」と「老松」が重要なモチーフとなっている。これは神が寄りくる理想の小島であり,和歌の冬の季題である都鳥(ユリカモメ)や千鳥が群れ飛ぶ仙境であり,祝寿を象徴する。両隻に分けて描かれた双松の老樹は吉祥を意味する。かれは中国の樹石画の伝統を受けて,大和絵的工芸的な技法を駆使して描くが,そこにはかれの古典世界への憧憬が見られる。この屏風は賀の祝(五十,六十歳を祝う)のために制作されたものではないだろうか。研究者:女子美術大学芸術学部講師橋本研究報告:日本画用岩絵具のほぼ全体を,マンセル等の数量的色彩空間の中に位置づけた調査研信-184-

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