鹿島美術研究 年報第6号
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今回の研究は,報告者が入手した合計二千枚に及ぶ仁和寺本全巻の写真について裏書も含む本文の筆跡と図像の描線の総合的な検証を行ない,仁和寺本の成立事情を出来るかぎり明らかにしようとするものである。まず別尊雑記全体の構成について触れておくと,現在仁和寺本は五十七巻にまとめられているが,そのうち第10,13, 21, 22, 23, 24, 29, 32, 35, 45, 53の計十一巻(巻番号はすべて大正大蔵経本を参照)が明らかな後補である。各巻に収められた尊法の数は様々であるが,各尊法内の構成はおおむね共通しており成蓮房兼意,成就院寛助,勝定房恵什の三人の師説を順に並べ,図像が有る場合は恵什の項の後に置き,最後に勝倶脈院実運の説を並べるという規則正しい構成となっている。各師説はそれぞれの著述からの引用であるが,それらに該当する尊法の記述がない場合ももちろん有り,全ての尊法に四師説が揃っているわけではないが,欠けている師説があるにせよ,その配列順はほとんどの場合上記のような規則正しいものとなっている。このように別尊雑記は四師の説を並記したものであり,編纂者(心覚)の見解は新たに加えられた割註や裏書に表明されているにすぎない。つまり別尊雑記が心覚の撰述になると言っても,四師の著述の控えさえ手元にあれば,その作業は心覚以外の僧でも,あるいは複数人によっても可能であったと考えられるのである。次に仁和寺本の筆写の手順についてであるが,これについては一巻ごとに順次編集を進める方法と,四人の各師説の本文と裏書を別々に筆写し,それらを尊法別に継ぎ合わせる方法の二通りが考えられる。この場合,錦織氏が指摘されたように(「別尊雑記の研究」仏教芸術82),各師説の引用の仕方に差異があり,その成立に先後があるとすれば,後者の手順が有力とも考えられるが、全巻を検討した結果,草稿の段階はともかくとして,仁和寺本は一巻ずつ清書されたと考えるべきであるように思われた。その理由として,0本文に限った場合,一つの巻の中では各師説とも同一の筆跡である場合がほとんどであること,〇師説と師説の境には紙継ぎが来ることが非常に多いが,中には一紙に二つの師説が筆写される場合もあること,の二点を挙げることが出来るであろう。おそらく下準備の段階では錦織氏が説かれたように各師説ごとに裏書が付けられたと考えるのが合理的であるが,仁和寺本はその草稿本を継ぎ合わせたものではなく,本文に関しては一巻ごとに新たに清書し直したものと考えられるのである。ただ,本文と裏書ではほとんどの巻で筆跡が異なっており,その清書作業が複数人によるものであることは確実なのである。筆跡の手分けをすることは非常に難しく,-189-

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