鹿島美術研究 年報第6号
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ることができ,図像の画風もこの分類と対応しているように思われるのであるが,はたしてこの三者の成立に先後があるのかどうかが問題である。まだ必ずしも確証がつかめたわけではないが,現在報告者は以下の二点より考えて,頭書を記さぬ巻,「成蓮院」と記す巻,「成蓮房」と記す巻の順で成立した可能性が高いと考えている。まず第一点は師説と図像の配列順についてである。この点に関しては先に各尊法とも「成蓮房」「成就院」「勝定房」“図像”「勝倶脹院」の順に配列されていると述べたのであるが,一部の巻でこの配列順に従っていない箇所がある。第25巻の五文字殊では「勝倶脈院」の項の後に“図像”が置かれており,第36巻の転宝輪では「成蓮院記」のすぐ後に“図像”が続き,長寛二年に心覚が宝心より儀軌を伝授された旨を記す別紙をはさんで「勝定房」の項があり、又‘図像”をはさんで最後は裏書のみの小紙で終るというまだ整理されていない感をいだかせる変則的な順となっている。第46巻の閻魔天では“図像”の後に「静本裏云」という頭書が付された本来裏書にまわされるべき部分をはさんで「勝倶脈院」となっており,第52巻の地天も「勝倶脹院」の項の後に“図像”が置かれているのである。以上の四巻は全て兼意の項を「成蓮院」あるいは「成蓮院記」と記しているのであるが,他の巻(特にほぼ半数を占める「成蓮房」の頭書が用いられた巻)では全て定型通りの規則正しい配列となっていることを考えると,この四巻は,編集法に定型が確立する以前の早い時期の成立ではないかと思われるのである。これらの巻では「成蓮院記」や「倶脹院記」といった,他の巻ではほとんど用いられていない表記が使用されている点も注意されるであろう。第二点は別尊雑記全体を如来部,菩薩部,念怒部,天部等に分けた時,各部の中で比較的重要でない尊法を多数集めているような,謂わば最後に残った尊法を整理した如き印象を受ける巻のほとんどで「成蓮房」か用いられていること,言い換えれば,「成蓮房」が用いられた巻の成立が最も遅れると考えられることである。すなわち如来部では第3巻,菩薩部では第31巻,天部では第52巻と54巻がそうした巻であり,これらは全て「成蓮房」が用いられた巻なのである。但し,第52巻は「成蓮房」と「成蓮院」が併用されている巻であり,注意を要する。この巻で「成蓮院」が用いられているのは巻頭に置かれた地天と梵天であるが,このうち地天の項に定型に従わない部分があることは先述の通りである。この巻で「成蓮房」が用いられているのはこの二尊に続く鳩摩羅天から婆沙波陀夜天までの諸尊であるが,これらは地天・梵天に比べてさほど重要性が高くない尊であり,それぞれ一師或は二師の説を掲げるのみで,後191-

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