鹿島美術研究 年報第6号
221/304

no.26)に関する考察を挙げる。Firenze, 1976)によりヴェネツィア,サン・セバスティアーノ聖堂の主祭壇画<聖母(Pignatti, A208)のための習作であることがほぼ確実となった。モノーポリの祭壇の一例としてフィレンツェ,ウフィーツィ美術館版画素描室所蔵,Inv.12894F (Cocke, 本素描は表面にペン,淡彩,白のハイライトによるキアロスクーロで「ダヴィデとモーゼ」を表し,裏面に聖母子と諸聖人と思われる断片的なペンのスケッチを描いている。裏面のスケッチは,リーリック(Tizianoe il disegnoveneziano del suo tempo, 子の諸聖人>(1559-61, Pignatti, no.132)の準備習作とされ,ピニャッティ(1976),今回のチーニ展カタログ(no.5)においても同じ見解が繰り返されている。しかしながら,同スケッチに描かれた諸モチーフ,その空間関係を検討した結果,同素描が現在プリア地方ノーポリの司教館にある<聖母子と諸聖人>画の制作年代は史料的に確定できないが,上記見解について意見を求めた際,リーリック氏は口頭で,現在一般的な推定である1560年前後よりもかなり下るとの考えを示している。本素描と祭壇画を比較することにより,素描に描かれた2人の聖人座像はペテロ(左)とパウロ(右)と同定し得るが,興味深いのはこれらの聖人像,特に左側のペテロのスケッチと,紙葉表面のキアロスクーロによるダヴィデとモーゼとの関係である。ペン・スケッチのペテロ像は両脚の向きを3種に変えて重ね描きされており,このポーズ研究は表面のキアロスクーロ素描の両人物に反映されている。一方,キアロスクーロの人物ポーズは1560年代のいくつかの絵画作品に描かれた人物モチーフに形態上部分に一致する反面,この素描を直接の準備習作とする旧約族長の像は見い出し得ない。ここから本キアロスクーロ素描の成立過程と機能を推定すると,それは祭壇画の使徒像の研究過程で生じ,その特定の図像学的文脈から故意に切り離されて高い完成度をもつ独立の作品として定着され,それが他の注文制作において再度利用される,という図式を見い出すことができる。このような制作習慣は,ヴェロネーゼ後期の素描作品中特異なグループをなす。特定の絵画作品と関連づけ得ないキアロスクーロ素描-「洗練されたパトロンのための独立した芸術作品としての素描」(リーリック)_が成立する前段階として位置づけられるのではなかろうか。本来の研究課題である1550-60年代の装飾サイクルについては,イタリア滞在中に,これまで未見であったマゼールのバルバロ荘及び現在も私邸として使われ未公開のムラーノ島,トレヴィザン邸で現地調査を行なった。研究内容はいまだ具体的な形にま-194-

元のページ  ../index.html#221

このブックを見る