た1968年A.バラリンによってかつて1階の天井に描かれていた<オリュンポス>がルとめる段階に至っていないが,以下にこれまでの考察結果を簡単に記す。トレヴィザン邸の装飾は,マゼールの装飾に約3年先だって1557年に制作されたもので後者の先駆をなす重要な作品であるにもかかわらず,劣悪な保存状態のために,現在に至るまでその包括的な研究はなされていない。今日2階の中央の間の天井にバルバロ荘オリュンポスの間の原型ともいえる宇宙論的内容をもつ天井装飾が残り,まーヴル美術館収蔵庫で同定され,1981年は2階の側壁に塗りこめられていたやはりバルバロ荘を直接先駆する風景壁画の新発見が,s.ロマーノによって報告されている。さらに,今回のワシントン展においてトレヴィザン邸の装飾に関連して現在知られている3点の素描をまとめて実見することができた。C.リドルフィ(1648)は,トレヴィザン邸の装飾プログラムの考案者がマゼールにおけるパトロンのダニエーレ・バルバロその人であったことを示唆する記述を残している。近年マゼールの装飾についての詳細な研究を著したI.J.レイスト(Renaissance 見解を採っていないが,両装飾の相似はリドルフィの記述に大きな信憑性を与えているように思われる。トレヴィザン邸の天井は,マゼールと同じくユピテル,ユノ,ケレス,ネプトゥヌスによって四元素を表している(マゼールではユピテルに代わってウルカヌス)。マゼール天井の中央をなす竜に乗る女性像はこれまで「神智」(N.Ivanoff 等),タリア(Cocke)等の説が出され論議の的であったが,上記レイストはバルバロの書簡中に表れる哲学的思想を根拠に,この像をエンペドクレスの思想に基づく「四大(自然界)を統一・支配する神的愛」を表するものとした。レイストはこの文脈の中でトレヴィザンの装飾に触れていないが,実際トレヴィザンの中央像が「ヴィス」である事実は両プログラムの同義性を証している。マゼールの中央像は,トレヴィザンで既に成立した図像の洗練化であったわけである。様式的観点からは,トレヴィザン邸天井の構成上の典拠として,これまで繰り返し指摘されたジュリオ・ロマーノの「プシュケの間」天井(マントヴァ,パラッツオ・デル・テ)の他に,パルマ大聖堂円蓋に描かれたコレッジオの<聖母被昇天>を挙げたい。同円蓋の最上部にソット・イン・スで描かれた聖母の像はトレヴィザン邸のヴィーナス像に類似するのみならず,八角形の中央区画を囲んで四隅に四福音書記者を配する構成はヴェロネーゼの解決法に直接ヒントを提供したと考えられる。レイストHarmon~, Ph. D., Columbia University, 1985)は同-195-
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