かけて描かれた,所謂「歴史画」,「構想画」の内容をさらに詳細に調査すると,そこにこうした国策が窺えるのかもしれない。ただ,万国博覧会に一堂に会した。かつての前衛的画家たち—彼らの多くはすでに祖国で著名な存在になっていたのだが一は,その自らの前衛性を,自然主義的色彩の濃い象徴的な作品に定着させたといえるのである。万博に提示された作品がそれを証明している。「いまや十八世紀の合理主義に対する反動が,十九世紀の物質主義に対する反動と混じり合って出てきている。」と証言するのは,イェイツである。彼は,反合理主義と反物質主義の延長線上に,ワーグナーの楽劇,ラファエロ前派の絵画,リラダンやマラルメ,メーテルリンクの詩歌,またイプセンの戯曲に代表される象徴主義運動の所産を見詰めている。「芸術はそのもつ激しさを温め育てて宗教的になり,たしかヴェルハーレンのことばだったと思うが,聖典を生みだそうと努めているこれらの芸術は,宗教思想がつねにそうしてきたように,伝説を媒介にして自己表現をしなければならない。」1900年万国博覧会に提示された,辺境の国々の作品は相互に影響しあい,呼応した主題を内に秘めているに違いない。37.お伽草子の基礎的研究ー現存するお伽草子の調査と目録作成一研究者:和泉市久保惣記念美術館学芸員河田昌之研究報告.. お伽草子の解釈には,江戸時代享保ころの書騨渋川清右衛門の刊行した「御伽文庫」を指していう場合と,それらをも含めて室町時代に流行した短編の物語の汎称としていう場合の,狭,広両義がある。このうち広義の解釈は,研究者がお伽草子を「室町時代物語」「中世小説」などさまざまに呼んだことで名称の混乱はきたしているものの,今日ではお伽草子の解釈の通説となっている。物語には公家,僧侶,武家,庶民,はては擬人化された鳥獣までもが登場し,恋愛や嫉妬,受難や栄燿,富貴や遁世などさまざまな人々の喜怒哀楽が横溢している。そのため題材としては説話,古典物語,軍記民間伝承,縁起,幸若舞,浄瑠璃などきわめて広範囲なジャンルにわたっており,しかも一つの話が別の話と混交して新しい話柄を生み,さらにもうひとつ別の物語の制作を促すというように,お伽草子個々の内容は複合的重層的な性格をもっている。お伽草子絵は広義にいうお伽草子を題材にとり,それを絵画化した一群の作品を指している。絵画形態が絵巻,冊子,屏風,襖などさまざまであるのは,他の絵画ジャ-200
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