これまで基本資料である3点の六道絵における救済説話についてみてきたが,以下にこれまでの過程で生じたいくつかの課題を挙げておきたい。この課題は実は本研究の最終的な結論を導くに解決しておかなければならない課題でもあり,研究対象が拡がり,進むごとに確認しなければならないものである。以下に述べるコメントはあくまでも先の3点の六道絵に基づく,第1段階におけるものであることをお断りしておきたい。まず始めに考えねばならないのは,取り入れられた救済説話の内容,救済のかたちの相異である。前述の『餓鬼草紙』では,救いのない苦しみを受けるはずの餓鬼が,釈迦及び釈迦の高弟の努力によって救われるというものであり,聖衆来迎寺本では,2話とも地獄に堕ちた罪人を救おうとする人の助力により,罪人が他に功徳を施することによって自らも救われるという形である。極楽寺本に至っては,目連の説話は複雑化し,他の説話は死して地獄に堕ちた罪人が助力を得て,あるいは自力で死の苦しみから逃れて蘇生するというものになっている。そこでは罪人も比丘,婆羅門,猟師などと多様化し,救済の理由も念仏,仏像造立の助援,追善供養の約束などとなる。このようにみると,平安時代末から鎌倉末にかけて,六道からの救済のあり方が実に多様になっていくことがみてとれるであろう。次の課題は説話の出典についてである。『餓鬼草紙』においてはいくつかの経典が出典となり,聖衆来迎寺本では「往生要集』であったのか,極楽寺本では『法苑珠林』「三宝感応要略録』といった仏教説話集からひかれているのである。極楽寺本がどうして印度・中国の説話ばかりを取りあげているのかという問題はひとまず置くとして,このようなことは,取り入れられる説話の内容に,より多様に,数多く,幅広くといったことが求められるようになったからと考えられないだろうか。また,中世の六道絵はほとんどが『往生要集』の説く六道の有様を絵画化していると考えられるが,ここにおいて『往生要集』の範囲を出たところに出典をもつ作品があることは,六道絵の展開を知る上で注目すべきことである。最後の課題は,先の2つの課題を合わせて考えねばならないものであるが,なぜこのように救済説話が取り入れられていったかということである。残念ながらこれについては未だ述べ得るようなものはないが,概略,六道絵の享受層の多様化を背景として,様々な階の現世における救済の約束への欲求が昂まったことなども予想できよう。はなはだ散漫であるか,以上で本研究の第1段階の報告としたい。しかしながら,説話207
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