鹿島美術研究 年報第6号
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と題された講演が行われた。ローマの旧サン・ピエトロ聖堂とサン・パオロ・フオリ・レ・ムーラ聖堂のフレスコ壁画について論じたこの講演は,多くの問題提起を含んだもので,講演後,この分野を専門とする立教大学教授名取四郎,及び大阪大学助教授辻成史,起宏ーとの間で討論が繰り広げられた。6月12日には,京都市立社会教育センターにおいて,午前から午後にわたり,ケッスラー教授の主宰する特別のセミナーが行われた。このセミナーでは,写本画・説話画を中心的テーマとして,3人の日本人の若い研究者が研究発表を行い,それぞれについてケッスラー教授が批評と研究上の助言を述べ,さらに参加者全員を含めて質疑応答,討議が行われた。このセミナーの最初の発表者は,大阪大学大学院生の石塚晃は,「パリ国立図書館ギリシャ語第510番写本」を中心に9世紀のビザンティン写本画をあつかい,「ダヴィデの塗油」の図像について詳細な比較検討と考察を行った。2番目の発表者,大阪芸術大学講師水島ヒロミは,12世紀の写本,「デァティカン図書館第1202番写本」をあつかい,テキストと挿絵の関係を綿密に検討して,この写本がより古いモデルを反映した作品であると述べた。ケッスラー教授は,発表者の考察を補強するものとして,ローマのフレスコ画の例をあげ,この議論を進展させた。最後の発表者,独協大学助教授前川久美子は,14世紀のパリで活躍した詩人・作曲家ギヨーム・ド・マシューの写本という珍しい問題を取り上げた。この発表は,写本の挿絵が著者自身の監督・校閲のもとに描かれたことを実証したものであった。このセミナーで,ケッスラー教授は,いずれの発表に対しても即座に懇切で綿密な批評を述べるとともに,その研究をさらに発展される方向,展望を示してみせ,そのたぐいまれな学識をうかがわせた。ケッスラー教授は,このセミナーの論議を総括して,この3人の研究がいずれも美術史的価値の非常に高い作品を対象としたものであることを評価し,若い研究者は,小さな作品を手際良くあつかうようなことを考えず,大きな問題をはらむ重要な作品に立ち向かうべきであると強調した。またケッスラー教授は,ヨーロッパ中世美術の現地から遠く作品もほとんど持たない日本では,研究の上で不便がある反面,ヨーロッパ人自身のように民族主義的な偏見にとらわれず,より自由な視点を持つことができると述べ,日本人研究者たちを励ました。-210-

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