鹿島美術研究 年報第6号
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2.木彫金彩仏坐像光背断片(図1)Ming-oi将1090 File 731) II W 003とKhaii c 003)に近い。3.この他にスタインがミンゴイから将来したロゼッタ型をした焔(ストゥッコ製)a) Mi xv 0024 MAS-1087 (File 463)経,9.8cmb) Mi xv 0025 MAS-1089 (File 465)経10.8cmc) Mi xv 0022 MAS-1088 (File 464)経10.8cmd) Mi vii vo 9 MAS-995 (File 375)経7.6cm彩色e) Mi xi 0087 MAS-1045 (File 422)高さ13.7cm幅12cm4.西域南道のホータン地方,余り知られていない遺跡である,アクテレク,キネトイグ蒐集・デリ一国立博物館蔵)の焔屑を想起させる。説法図はキジル様式だが,焔の表現が西域南道に位置するバラワステである点も,古代の交通路の存在を示すものでるかもしれない。コーラの南西にあるオアシス・コルラから楼蘭,更に西域南道まで通路があったことは知られている。来(シクナン)Inv.No. Mixv-0029(1917 MAS 高さ251.3cm幅12.2cm(参:西域美術IIIpl.ll5) (11, Serindia PIC x xviii) カラシャールの南西30kmのシクチンにある,スタインがミンゴイと呼んだ石窟遺跡から出土した。この円型を四分の一にしたような光背の断片に,五体の仏像が,禅定印を結び,通肩・結伽鉄践の姿で彫られている。各像の頭光背と身光背の周囲を包むように迄型の焔が表わされている。クチヤのスバシ(ギメー,MG27345)ヤドルドル・アクール(ギメーEO1094)の木彫仏坐像に類似した,整正な彫りが施されている。一方烙の形体はむしろホータンのカダリク出土のストゥッコ製供養者像の身光背に表わされた焔の形式(デリーI凸a五点が認められた。クマクヤカダリックから焔のモティーフが発見された。図1木彫金彩仏坐像光背断片ー216-大英博物館蔵

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