鹿島美術研究 年報第6号
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闘ローマ国立束洋美術館31.忍麟Kapisi地方(?)(図13)て1930年代に出土したのに対し,この作品は1928年にベルリンにもたらされたものである30.プトカラ出土の燃燈仏本生輝諸造例ギメーの双神変とは頭光背が破損されていること,及び台座側面の模様が異なる他は,同類の作品である。ヨーロッパに伝えられる代表的な,カビシ様式の焔肩仏であると云えよう。ギメーの作品が,考古学的発掘によっ点が興味深い。如何なる経路でカピン地方から,アマヌラ王の目に留り,贈物として選ばれたか,色々文献をベルリンで調べてみたが何も分からなかった。現在この作品は倉庫にあり,専門家以外には全くその存在も知られていないが,アフガニスタンの重要な仏教美術として決して忘れることの出来ないものである。ここには,イタリア中近東極東研究所がパキスタンのスワット地方(ガンダーラの北方)のプトカラ仏教遺跡で1956年から発掘した出土品の研究を行なった。スワットの出土品の中に焔のモティーフがあるか否かがテーマとなった。インドで生れた仏教美術の中に存在しなかった焔のモティーフが,ガンダーラからアフガニスタンに向けて伝播して行った過程で,アフガニスタンのカビシ地方で,クシャーンの人々によって新しく仏教美術の中にとり入れられたことに鑑み,ガンダーラの北方に位置するスワットには焔のモティーフ,特に焔肩は存在していないのではないかとの仮定に基いて調査をした。その結果矢張りプl、カラの作品の中に焔のモチーフは用いられていなかったことが判明した。特に興味深かった点は,カピシ地方で焔と密接に関連して表現された「燃燈仏本生謁」ですら,スワットでは数多〈表現されたにも拘わらず,焔の要素は全く存在しなかったのである。下記が本館に所蔵されるか,或いは現在スワットにあるプトカラの燃燈仏本生輝の作品である。-225-図13(31)

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