3.エル・エスコリアル修道院図書館のくベストゥス>写本術の中に取り入れられた。烙が始めて出現したのがカピシ地方,(当時クシャーンの政治的根拠地の一つであったベグラムのあった)に於いてであった。カピサ地方以東にあって,カピサ地方より以前に仏教美術が盛んであった中インドやガンダーラには焔のモティーフは殆んど存在しなかった。即ち焔のモティーフは,カピシに多出し,ガンダーラ・スワットには殆んど存在せず,カラコルム山脈を越えたタリム盆地の北辺,天山南路のクチャを中心とした仏教寺院スバシ,ドルドルアクールや石窟寺院キジル,更に東のカラシャールの近くのコーラから出土していることが判明した。それにひきかえ,ホータンでは,周知の遺跡ラック,ダンダンウィリクやファルハドベクやイラキ等からは,焔のモティーフは全く発見されていなかったことに注目したい。烙の断片がハダリックや更に余り知られていないアクテレックやキネトフマクから発見されているだけである。クシャーン朝と仏教が密接な関係にあった時代にカピシ様式が生まれてきたことを考えると,烙のモティーフの伝播がクシャーンの伸長と共に中央アシアに伝わっていったとするのも妥当ではないであろうか。最も例の多いキジルでは,小乗仏教が盛んであった。方,遺例が皆無であったクムトラは大乗仏教の寺院であった。この事実を背景に,烙のモティーフが小乗仏教も共に中央アジアに伝播され,次第に中国に侵透して行った事が推察出来よう。しかし図像として確固とした地位を得るまでには,さまざまな変遷を遂げて行った。今後は,仏教の内容と図像の発達に関し,特に烙のテーマを中心に考察を行いたい。蓮華天井については,インド古来のモティーフが,キジルやシムシム(キリッシュ)に於いて非常に発達した様式で開花していたが,実物を真近に見ることが出来たことは幸いであった。蓮華天井の問題は,中央アジア独特の天井構造である,所謂ラッテルネンデッケ(三角持ち送り天井)と並に,更に中央アジアに於ける伝播の模様を考えて行きたい。今回,以上の様な,非常に有意義な研究をさせていただきまして誠にありがとう存じます。深く感謝申し上げております。(Ms. & II. 5)の挿絵研究研究者:跡見学園女子大学非常勤諧師安疲和彰研究報告:I.本調査研究の中心をなすのは,ェル・エスコリアル(スペイン)およびニューヨークにおける所謂ベアトゥス写本挿絵の調査であり,主な内容は以下である。エル・-229-
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