鹿島美術研究 年報第6号
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アトゥス写本挿絵に着想した表現があるとの論も提出された(A.プラント1969年他)。とは言え,記録上は,ピカソが図版も含めてベアトゥス写本を目撃して刺激を受け摂取したことは,少なくとも件のE.挿絵に関しては実証できない。これ迄の本調査では,E.は当時パリに出ていないのであり,また黙示録の嵯をく二重顔〉に表わすのは,現存する他のベアトゥス写本にはみられないからである。もとよりピカソが二重顔表現を試みたのは30年代以前,1925年に潮り(<ダンス>Z. V. 246),それは様々に展開されていった(<女と彫像>Z.V.451.<坐る女>z.VII. 77)。そして1931■32年のマリー・テレーズ・ワルテルをモデルとする作で新たな局面が開かれ,<肘掛け椅子の女>や<鏡の中の少女>Z.VII. 379.<夢>Z.Vlll. 364 が制作された。その後この表現は安定し,ピカソの重要な造形タームとなる(<坐るドラ・マール>Z.VIII. 331他)。この過程にあってはく二重顔〉の多さ,完成度の高さから言っても,ピカソにとってマリー・テレーズとの出合いは決定的であっただろう。この問題でピカソ自身の発言として特に重要とみられるのは,R.ペンローズの記録(1958年)に現われ,それによるとピカソは,マリー・テレーズの顎のとがった「月のような頭部」即ち三日月形の横顔に深い造形的興味を抱いていた。たしかに1931-32年の作品群には顕著な三日月形頭部の女性像が頻繁に描かれていて,ペンローズの証言は充分に信頼できる。これらの作品に比較してく二重顔〉の作を見る時,例えば<夢>でも白い上向の横顔がより強く印象に残るのであり,<肘掛け椅子の女>も三日月形の横顔がライト・モティーフであったことが諒解される。さらに<鏡の中の少女>や<読書>Z.VIII. 358においては,向き合う二つの三日月の合成があたかも満月の顔を提示しているのに気づくのである。結局<肘掛け椅子の女>を含む1931-32年頃のく二重顔〉でピカソが目指していたのは,すでにキュビスムで試みた「対象の多角的視点による同時把握」という形態追究のテーマを,改めて三日月形横顔をモティーフとして展開することであったと言えるのではなかろうか。ピカソの二重顔表現は,このように一連の,純枠な造形上の試みの中に位置づけられて理解されるべきなのである。ではE.のく二重顔〉はどのような表現であろうか。それはあくまでもテキストに関わっている。黙示録第九章ではこの蜻の顔は『その顔は人間の顔のようであり』(7節),『その歯は獅子の歯のよう』(8節)と記され,挿絵の顔は人間と獅子とを合成したものである。そして,それがこのような形で提示されたのは,恐らくベアトゥスの註解文が動因となっている。ベアトゥスは先づ蜻を,偽物の金の冠を被る(黙示録九章7-232-

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