A.始めて統一された大和国にとって精神文化を吸収するのは重要なことである。E.中国と同じように,仏教信仰は時代の流れによって貴族から庶民へ,仏教彫刻A.仏教彫刻はシルクロードの途中でたち寄ったり,影響を受けたりして,一つ地B.中国に伝わってきた仏教彫刻様式はその外来要素がインド仏教彫刻濫膳期様式・B.仏教が将来された時,それに対する態度が,まったく対立した姿勢をとった蘇我氏と物部氏は,烈しく争った結果,蘇我氏の仏教受容の立場が優った。とくに聖徳太子摂政期にかけて,積極的にすべての仏教文化を吸収するに止まらず,仏教文化やその一部の仏教彫刻が繁栄する土台を築いたのである。化を高めて行こうとするために,文化源泉の一つとして,仏教彫刻の流れをできるだけさまたげないようにした。D.時代によって,僧達の地位が違い,かつて僧が権勢をほこった時代があっても,結局,天皇と仏が一つにはならなかった。仏様に奉祀するのは理想と憧憬の意味であり,追善と念仏などの仏事活動が行われるわけである。の造型に対する審美要求も貴族の好みばかりではなく,徐々に庶民達の好みが含まれて来る。二.中日仏教彫刻様式の流れの比較の要点方を通ると,その地方の自然と文化の色彩で染められた新様式がその地方に残っていくわけであり,幾つかの地方を通ったら,もちろん幾つかの様式が出て来るわけである。それは一本の蔓にいくつもの瓜がなれば,同じ瓜であっても,やはり大きさや色や形や中味など,違いが多少ある。仏教彫刻は中国大陸に辿りつく頃には,遥かにマトゥーラ仏教彫刻やガンダーラ仏教彫刻などがすでに輝かしく存在しているわけであり,その流れはまず西域の民族に浸染された結果,西域にある各石窟仏教彫刻の様式ができ,つづいて五胡民族にとくに鮮卑民族に浸染され,さらに漢民族に浸染された結果,中国仏教彫刻様式が出て来たわけである。また,朝鮮半島の三国の民族に浸染された結果,朝鮮仏教彫刻の様式があって,最後に日本列島に定着したときには,もちろん日本民族に浸透されていて,結局,日本仏教彫刻が出て来たわけである。だから,中国に伝わってきた仏教彫刻様式は決してガンダーラ仏教彫刻様式と同じではなく,日本に伝わってきた仏教彫刻様式は決して中国仏教彫刻様式と同じではない。252-c.島国の日本はほとんど一つの民族で,相当安定した環境であった。自己民族文
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