鹿島美術研究 年報第6号
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(1) 5月24日(於立教大学)「ラヴェンナとそのモザイク壁画」。これは大学生を対(2) 5月26日(於立教大学)「ローマのカタコンベ(地下墓所)の壁画」。この講演ヴ,アオスタと会場を順次移して開催されたが,フェヴリエ教授は学会組織委員会の主要メンバーの一人であった。古代末期から中世初期のキリスト教考古学および美術史に関する最大規模の,数年毎に開催される国際学会であるが,日本からの参加は,名古屋大学の辻佐保子教授と筆者名取四郎の2名のみであった。ちなみに次回は,1990年にボンで開催される。この学会期間中,既にフェヴリエ教授と永年の親交をもっておられる辻佐保子教授を交えて3人で,フェヴリエ教授来日について話し合われた。古代末期から中世初期のキリスト教美術史は,日本においては,未だに研究者の数が少なく,また大学院レベルの若い研究者の育ちにくい領域でもある。しかし古代ローマ美術から中世,さらにルネッサンス美術へと橋わたしとなる重要な時代である点は言うまでもない。しかい方法論をもとにその研究は新たな段階を迎え,若い研究者のすぐれた業績が生れ始めている。こうした事情の中,フェヴリエ教授の来日が,日本におけるこの分野の研究に良い刺激となるはずであると考えた次第である。そしてこの度,鹿島美術財団の援助のもとに,同教授の来日が実現された。フェヴリエ教授は一ヶ月の日本滞在中,5回の講演をもたれ,さらに多くの人々との交流の場をもたれた。講演はすべて仏語で行われ,通訳は名取四郎がつとめた。同教授は来日前から,日本において特に若い研究者との交流を希望され,また古代および中世美術史のみならず,西洋美術史全般の研究者との広い交流を希望され,また古代および中世美術史のみならず,西洋美術史全般の研究者との広い交流を希望された。以下に各講演の内容を簡単に記す。象に行れたものである。北イタリアの古代都市ラヴェンナの5■6世紀の教会堂とモザイク壁画について,古代末期〜中世初期の都市史,思想史の観点からの講演である。古代末期のローマ都市が民族移動期の混乱の中で,新たに中世キリスト教都市へと変貌しようとする軌跡を,教会堂建堂およびその壁画制作を資料として,他の北イタリアの町アクィレイアやミラノとの比較において位置づけたものである。は立教大学国際センターとの共催のもとに,広く一般の聴衆を対称として行われた。第11回国際キリスト教考古学会が1986年9月に,リヨン,グルノーブル,ジュネーも1970年代以降,フランス,ドイツ,イタリア等において,発掘調査の活発化が新し-255

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