(3) 5月27日(於立教大学)「北アフリカの古代ローマ都市」。美術史,考古学,歴(4) 5月28日(於早稲田大学)「ローマのカタコンベの壁画,その研究の現状」。こローマに数多く残るカタコンベ(地下墓所)は,単にキリスト教のみならず,ユダヤ教等の古代末期のローマの諸宗教の活動を知るうえの貴重な資料となっている。しかし一般に公開されているものは数が限られ,実際の見学もほんの一部分に限定されている。こうしたカタコンベの,特にキリスト教徒のカタコンベに残るフレスコ壁画について,制作年代および国際学上の見地から今日まで繰返し論議されて来た。フェヴリエ教授は今回の講演で,特に「二本の月桂樹のカタコンベ」と「プリシッラのカタコンベ」を例にとり,まず詳細な考古学上の分析から,280■310年の数十年間がローマのカタコンベ壁画制作の最も重要な時代であったことを強調された。更に図像学的見地から,この時代に多用された「羊飼い」,「葬礼の食事」,「オランス」等の表現は,キリスト教美術の独創になるものではなく,当時のローマ異教美術に一般的なものであったことを考えると,この時代の地下墓所の壁画装飾の存在は,経済的に豊かな階層の人々のキリスト数への改宗を証明すると,フェヴリエ教授は結論づけている。3世紀末から4世紀初頭のローマのキリスト教徒の活動に関する文献資料が,殆んど皆無に等しい状況の中で,カタコンベとその壁画の存在は,美術史家のみならず歴史学者にとっても,それを知るうえでの,まさに殆んど唯一の資料となっているのである。史学,キリスト教学の大学院生および研究者を対称に行われたこの講演は,西洋古代社会研究の宝庫である北アフリカの古代ローマ都市遺跡の紹介である。地中海沿岸および内陸部に残る古代ローマ都市遺跡は,19世紀末より発掘が行われ,フェヴリエ教授もその幾つかに直接関わっておられる,今回はその中から,ティパザ,クイクル(現在名ジェミラ),テヴェステ(テベッサ)をとりあげ,3世紀以降もキリスト教の侵透と共に,古代都市がどのように拡張されたか,殉教者崇拝を根幹とする教会堂建造および装飾の問題を,さらには巡礼の問題等を,貴重なスライドとともに話された。美術史の領域では,教会堂舗床モザイク,殉教者の墓を飾るモザイク等,古代末期から中世初期の貴重な資料となっているが,日本では未だ知られることの少ない世界である。の諧演会は日本美術史学会東部会例会として開催されたものである。ローマの地下墓所(カタコンベ)に残るフレスコ壁画研究の現状を,特にプリシッラのカタコンベ,サンティ・ピエトロ・エ・マルチェッリーノのカタコンベ(「二本の月桂樹のカタコン-256-
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