鹿島美術研究 年報第6号
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tion)は組織されてまだ5年にしかならないが,1国の枠を越えた活動を目指してン=テリトリー(北部準州)の中心都市であるダーウィン(Darwin)のボーフォート(Beaufort)会議場で開催された。ダーウィンは熱帯に位置しているが,ちょうど乾季に当たったため,気温は30度以上にもなったが,それほど不快ではなかった。会場は完成してわずか3年と新しく,空調設備の整った中で白熱した議論が展開された。この国際会議を主催したAURA(the Australian Rock Art Research Associa-おり,今回,初めての大会に約30ヶ国から250名を越える参加者が集まった。その中には中国,チェコスロバキアなどの社会主義国や,ケニャ,インド,スリランカ,インドネシア,ボリビアなどの発展途上国の研究者も含まれており,この国際大会が欧米に片寄らない世界的なものであることを示していた。もちろん,欧米からも岩面画研究を代表する世界的に著名な専門家がほとんど参加しており,最高権威の一人,イタリアのアナティ(Anati)教授も開会挨拶で「これほどの規模の研究集会はかつてなかった」と述べたほどである。大会は8月28日午後7時からの前夜祭から始まった。オーストラリアの先住民であるアボリジニのダンスが会議場の前庭で披露された。踊ったのはバラロガ・ミミ・ダンサーズ(theBararroga Mimi Dancers)というプロのグループで,体じゅうにボディ・ペインティングを施し,単純だが力強い伴奏にのって,きわめてダイナミックなパフォーマンスを見せた。大会の5日間には約200の研究発表が行われた。会議場内の3室が平行して使われ,参加者はそれぞれの関心にしたがって興味を持った発表を自由に聞くことができた。発表は全部で10の研究部会に分けられた。以下にそれらを列挙する。A,旧世界の岩面画研究。B,新大陸の岩面画研究。C,オーストラリアとオセアニアの岩面画研究。D,北部オーストラリアの岩面画。E,岩面画研究における記録と標準化(standardisation)。G,岩面画と先史学。H,岩面画と民族誌学。K,岩面画の考古心理学的解釈。L,絵画と人間行動。M,保存と遺跡管理。0,修正一保存のための選択?(FやIなどが抜けているが,これは予定されていたものの,発表希望者があまりなくほかの研究部会に統合されたためである。)以上のようにきわめて多彩なテーマが用意されたところにこの国際大会の特長が示されている。従来の岩面画の学会は考古学的な関心から,遺跡の詳細な報告-266-

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