業績を参照すること」であった。また,ラファエル前派を美術史の中の然るべき位置におくには,イタリヤ初期ルネサンスを含めた過去の芸術とラファエル前派と関係を検討しなければならない。狭義のラファエル前派は1848年にハント,ミレイ,ロセッティ兄弟らによって結成され,1853年には事実上解体している。ロンドン・ナショナル・ギャラリイには,1848年には,全184点の収蔵品の大半は,イタリヤ盛期ルネサンスと17世紀の作品で,初期ルネサンスの作例は僅か9点,実際にフラ・アンジュリコら,イタリア初期ルネサンスの代表的芸術家の作品を見たのは,ハントとD.G.ロセッティが,ルーヴルを訪れた1849年のことであった。ここで注目すべきは,ラファエル前派と初期フランドル絵画の関係である。1849年,ハントとロセッティは,ベルギーの古都を歴訪し,ファン・エイク兄弟やメムリンクの作品の精緻な描法,素朴な着想,神秘的内容に感銘を受けた。実際,初期のラファエル前派の特徴は,まさしく初期フランドル絵画の特徴に合致するものである。イタリアの初期ルネサンス絵画では,風景は様式化され,人物は理想化される傾向が強い。初期フランドル絵画も当時一般には,軽視されていたが,1848年にロンドン・ナショナル・ギャラリーにあった唯一の初期フランドル派の作品は,同派の代表者ヤン・ファン・エイクの傑作《アルノルフィニ夫妻像》で,様式とモティーフの両面で,ラファエル前派に少なからぬ影評を与えている。草創期のラファエル前派には,理念的には,「プリミティヴ」な芸術に共感していたが,むしろ初期フランドル絵画を具体的指針とした。イタリア・ルネサンス美術の影聾が明らかになるのは,1860年頃,D.G.ロセッティとその弟子バーン=ジョーンズを中心に再出発した「第二次ラファエル前派」においてである。1855年〜65年のナショナル・ギャラリー館長イーストレイクが初期ルネサンス絵画を積極的に購入したことは,この変化に少なからず関係しているだろう。ラファエル前派の台頭が,こうしたラファエロ以前の芸術への関心を高めたと言える。しかし,かえってそのために,た。また,手本とされたイタリア・ルネサンスの芸術家が,ボッティチェリやクリヴェリ等,初期ルネサンスの中でも「プリミティブ」な特質とは最もかけ離れた芸術的個性の特主であること,ティツィアーノやミケランジェロのような「ラファエロ以後」の芸術家の影聾も大きいことは看過しえない。第2次ラファエル前派の画風は草創期のラファエル前派とは大きく異なるものとなっ19 -
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