研究目的:同年シュツットガルト,パリ,ボストンにおいて大規模な回顧展が開催,さらに1988年にはベルン美術館他において,アルプと妻ゾフィー=トイバーの二人展が開催されるなど,アルプに関する研究はここ数年の間に飛躍的な高まりをみせている。しかし,アルプの作品と芸術観を歴史の文脈のなかで考察し,彼を20世紀美術史上に正当に位置づけるという研究は,いまだ十分になされているとは言えない。1910年代初めに「青騎士」と「シュトゥルム」の活動に関与し,10年代後半にチューリヒ・ダダの中心人物となり,20年代には構成主義の作家たちと交流をもつとともにシュールレアリスムにも参加し,30年代にはグループ「抽像=創造」の結成にかかわるというように,アルプの活動はきわめて広範囲にわたるもので,その経歴は20世紀前半の前衛芸術の歴史そのものであると言っても過言ではない。従って,ひとつの運動の枠内でアルプを語ることは彼の業績を正当に評価することにならないので,本研究では彼の作品と思想を,彼が交流をもった多くの作家達との比較対照において考察する。それによって,アルプというひとつの傑出した個性を様々な光に照らして浮彫りにすることができるだけでなく,逆にアルプの軌跡を手がかりとして,20世紀の多様な芸術運動の展開を貫く本質的な問題の考察に達することができるであろう。研究者:同志杜大学大学院研究生清瀬みさを研究目的:フランス王立美術アカデミー(絵画彫刻アカデミー)は,ルイ14世による国をあげての文化政策の一環として1664年に創設された。もとよりアカデミーは,イタリアで職人組合における徒弟修業に代る創造的で科学的な美術家養成機関として成立し,人文主義者たちの協力をえて美術家の社会的地位向上にも大いに貢献した。フランスでは初代院長のシャルル・ルブランやアンドレ・フェリビアンがイタリアのアカデミー制度にならい,ローマ在住のフランス人画家ニコラ・プッサンを理念的,造形的理想として,イタリアとは区別される独自のフランス芸術を提唱した。そしてさらにはフランス近代芸術の方向を決定することとなった。プッサン自身は生涯の大半をローマで過し,ラファエルロの造形を信奉してロマッ1984年にアルプのドイツ語全詩集が完結,1986年にフランス語著作集が再版され,20.プッサンとフランス王立美術アカデミーの成立に関する研究-36 -
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