鹿島美術研究 年報第6号
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26.明治・大正期におけるミレー及びバルビゾン派受容に関する基礎研究だった美術史的見地が手薄である。青銅器に関するこれまでの研究は青銅器の各一面に関するものである。しかも,殷周青銅器はまず第一に様々な面をもつ一個の独立した器物であり,美的価値を有し,その内容は長年の間に変化したという事実を忘れてはならない。青銅器を一個のものとしてとらえ,その造形美を問い,変遷を辿り,意味するところを尋ねるという総合的視点に立脚した研究の不備は殷周青銅器の理解を浅いものにしている。本調査研究はこの点を補おうとする方向にある。具体的には二里頭期より戦国時代に至る約1,300年間の青銅器の装飾の変還を明らかにし,各時期の造形の特質を明らかにすることをめざすもので,今回の目的はそのうちの殷後期に先行する二里岡上層期の青銅器の装飾の実態を明らかにし,その装飾の特質を考察することである。ここで装飾の視点を導入するのは次の理由による。殷周青銅器の造形美は器形と装飾から形成されている。装飾は,この場合,意味を持った様々な意匠の文様が器形との関係を考慮して器体に施された状態をさす。器形や文様は青銅器の一部であったり,青銅器から離れても存在するが,装飾は器形とも文様とも深く関わり,一個の青銅器に造形する際のまとめ役となっていると考えられる。装飾は青銅器の造形の鍵を握るものなのであり,制作者の精神を反映しているはずなのである。装飾の視点を導入することは青銅器の造形や存在に関する本質的な理解を助けるものであると考える。二里岡上層期をとりあげたのは一昨年の“初期”に続く時期であることによるが,青銅器1,300年の歴史上最も高い造形美を示す殷後期青銅器の直前の段階であり,その器形と装飾がまさに形成されていく過程にふれることになる点で,特に重要な意味を持っている。中国歴史博物館,河南省博物館などにとくに力を入れようとするのは,この期の青銅器の本流としての作例が集中していることによる。研究者:山梨県立美術館学芸員守屋正彦他2名研究目的:ミレー及びバルビゾン派は,明治初期以来,工部美術学校の教師A・フォンタネージを始めとして,展覧会,伝記,評伝,批評,画集など様々な形で我が国に紹介され,日本近代洋画家たちに多大な美術的影響を及ぼしたとされる。したがって,明治以降-40

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