鹿島美術研究 年報第6号
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法によって統御された空間をまず設定した上で事物を配したわけです。そして絵画は遠近法という幾何学をとり込むことにより,その地位を高め,自由学芸の仲間入りをします。また近・現代美術はこの線遠近法に対する反抗であると言っても良いほどで,その存在は大きかったともいえます。したがって遠近法については,これまで多くの研究と成果があるわけですが,むろん充分というわけではありません(とくに日本ではピエロ・デッラ・フランチェスカの『絵画の遠近法』の完訳がないなど,きわめて不充分な紹介しかなされていません)。近年のコンピューター革命は線遠近法に対しても新たな関心を生んでいます。申請者も「距離の定式」を創案するなど,新しい方法による研究に努めてきましたが,新しい方法を用いるだけでなく対象を全体的,総合的にとらえることもまたきわめて重要なことです。申請者は古文献,素描,絵画作品という異なる資料を相互に活用し,理論と実際の両面から15世紀の線遠近法にアプローチしたいと思っています。たとえばピエロ・デッラ・フランチェスカの「笞打ち」(ウルビーノ)のように,ルネサンス絵画には画面上だけでなく,それを平面図や側面図などに再構成した場合にも,厳密に計算された比例関係が見出されることがあります。そうした画面に隠された空間の構造,数学的比例にもとづく秩序をさぐることで,ルネサンス美術の本質の一側面に迫りたいと思います。31.アプーリア,バジリカータ,カラプリアにおける“ビザンティン系”モニュメンタル絵画(11■14世紀)の調査一説話ないし祝祭図像を伴う諸聖堂に関する研究研究者:東京工芸大学工学部非常勤講師岡崎文夫研究目的:ていく一方,美術の分野ではロマネスク,ゴシックといった広く西ヨーロッパに認められる新たな様式感覚に根づく美術を生みながらも,堅固な形成を維持するビザンティン美術の直接的・間接的影響下に置かれた。とりわけ,マケドニア朝時代にビザンティン領に属したイタリア半島南部のギリシア系住域では,ノルマン侵入以降も,ビザンティン的諸伝統の根強い存続と絶えざる流入があった。この地方に点在するビザンティン系モニュメントのうち,明白にギリシア人画工の関与をしるす説話ないし祝祭図像を伴う聖堂壁画の諸例は,ビザンティン文化の絶え間ない流入を雄弁にもの語る証言者である。しかしながら,イタリア南部の遺例は概して残存状態が悪く,また11■14世紀のイタリア半島は,政治的にはビザンティン帝国との関係を徐々に断っ-44 -

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