鹿島美術研究 年報第6号
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首都コンスタンティノポリスと直結する顕著な要素に欠けるため,ともすれば首都の損われた美術の歴史を復元する見地から地方作例を評定し研究俎上にのせてきたビザンティン美術の研究史にあっては,特別な関心を浴びることは少なく,行き届いた研究調査も稀である。申請者は,南伊におけるビザンティン美術の受容と展開,およびラテン,ノルマンといった非ビザンティン文化との接触を通じてのその変様あるいは土着化の過程をも明らかにした<考えているが,まずこうした研究に先立ってこの地方にもたらされたビザンティン美術の性質とその担い手であった画工のあり様を踏まえることが肝要と考える。また,それは南伊固有の地方史的研究にとどまらず,ビザンティン絵画の地方作例とその画工たちの担った歴史的意義一般を探る上でも有益であろう。32.後漢から初唐における銅鏡の金工史的研究研究者:帥黒川古文化研究所主任研究員西村俊範研究目的:中国の銅鏡の研究は,戦前の富岡謙蔵・梅原末治両氏などが確立したおおよその枠組が未だに生き続けている。しかし,解放後中国における数多くの出土例は,その枠組にも重大な変更を迫っており,分類編年の遅れも目立っている。時代性,地域性の議論によるべき定点の少なかった戦前の研究を越えて,新たな枠組を確立することは急務であり,また金工史的にみても漢〜唐代の金工史の中心,文様史の中心となる銅鏡の研究は,金銅仏とともに時代の中心とすべきものであろう。しかも,解放後の新しい発掘資料はこの40年間に相当の量に及び,中国国外に流れ出す資料も近年の香港経由の品を中心に多数にのぼっており,これらの資料をとりまとめて,新たな研究の進展に寄与する時期としては現在は最適である。また,金工史の流れの中でみても,従来漢を中心として,あるいは唐を中心としての銅鏡の研究は多くありながら,その中間の六朝代の様相がつかめないために,後漢から唐にいたる美術史的な流れの把握が十分でなく,後漢と唐を一つの流れの中に位置づけての歴史的なダイナミズムの理解に難があったように思われる。したがって,後漢鏡の終末と隋•初唐鏡の初現を一つに捉えて,時代的な脈絡をつけようとする本研究の構想は,当該時期の金工史の様相を探る上で大きな意義を持つものと考えている。-45 -

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