以前,赤絵式手法の発明が紀元前460年頃と考えられていたのが,現在のように紀元前530■525年頃と判明したのも,やはり発掘の結果であった。申請者は,西ベルリンにおける著作出版,5回の国際会議参加を含め,1981年以来1988年まで8年間連続して欧州で発表活動を続けて来た。その目的は,第一に1980年代から始まった新しいアッティカ式壺絵研究への参画であり,第二に同研究成果を応用しての,古パルテノン神殿の復原を試みることにあった。カヴァディアスとカヴェーラウによるアクロポリス発掘から一世紀が過ぎた現在,パルテノン神殿を中心に今世紀最大規模の修復工事が繰り広げられている。1983年ギリシャ政府主催の『パルテノン神殿修復に関する国際会議』に招聘を受けて出席した本申請者は,つぶさにアクロポリスを調査する機会を得て,古パルテノン神殿の仮説とその基となるアクロポリス出土アッティカ式壺絵の研究にとって,現在が千載一遇の機会であるとの確信を深めた。以上の経緯から見て,今回,本計画が実現すれば古代ギリシャ絵画史の基本資料が身近なものとなり,その意義は大きい。故に,アクロポリス出土陶器再調査実現の機会が,他国に遅れを取る事なく速やかに与えられることが切に望まれる。38.オーギュスト・ロダンのプリュッセルにおける自己様式形成について研究者:東京国立近代美術館美術課版画係文部技官・研究職高橋幸次研究目的:今日,ロダンに関しては,あたかもその実像が確定され,残された研究は,部分的で詳細な資料研究を残すのみである,という観がある。これに連動して各国の研究者達は,とりわけ自国の芸術とロダンの関係,特にその受容の研究に偏る傾向にあるとえよう。成程,それはそれとして非常に価値のある研究ではあるが(実際,私も,例えば,ロダンと高村光太郎,荻原守衛やそれ以降のいわゆる「ロダニズム」の洗礼を受けた日本近代彫刻について,その実際の作品様式の系譜をまとめようと構想中である),その前に,やはりロダンの本質的な問題を今問い直す形での詳細な,実際の事実調査(文献資料と作品)を踏まえた研究こそが,今為されるべきであると考える。そこでロダンをロダンたらしめている彼の独自の自己様式の確立の問題は最重要であると言わねばならない。この自己様式とは,19世紀に極まり終焉した彫刻人物像における「大きさ」の問題,それは単に作品のスケールのみではなく,量感と重量感を本-49 -
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