鹿島美術研究 年報第6号
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④桐⑤ 抱著荷⑥ 双鶴文を円形もしくは菱形に表したもの。団鶴文も日本の文様の可能性がある。⑦ 十字花文として分類したものには,バリエーションがあるが,そのうち,鍬形や瓢蹴文様で十字に構成したものは日本の文様であろう。⑧ 菊流水研究が進めばもっと多くなるかもしれないが,現段階では中国に手本を求めることができないもので,日本の文様とみられるものは上記のような種類である。ここで注意したいのは,手本としたであろう中国磁器というのは16世紀から1640年代ごろ(明末の万暦から崇禎期)までの,万暦の景徳鎮窯磁器,呉須手染付,呉須赤絵,古染付,祥瑞,南京赤絵などである。このうち,古染付は日本の茶人の注文で作られたものが多いとみられている。器形ばかりか文様にも日本的デザインが目立つというのである。この天啓(1621■27)から崇禎(1628■44)期に焼造された古染付は,初期の肥前磁器の文様に強い影響を与えたとされる。しかしよくみると古染付といわれる一群にも,明らかに日本的デザインとみられるものと,そうでないものがある。また肥前磁器が手本としたとみられる古染付は,日本の茶人の注文とみられるもの以外の古染付に多いのである。また肥前磁器が中国磁器を手本とする仕方は,器の文様すべてをそっくり写したとみられるものはみられず,文様要素を少しずつとって,いくつかの文様要素を組み合せた新しい意匠に仕上げている。絵画では既に指摘されてきた「八種画譜」(天啓中刊)と「図絵宗葬」(万暦35年〔1607〕序)を手本とした可能性が強い。後者の場合,家鶏図,魚藻文,野菜文,芦雁図,月兎図,具や蝦の図など,17世紀後半の肥前磁器にはみられなくなる意匠があり,しかもそれは窯ノ辻窯の絵文様とかなり似通っている。細かくみればかなり種類が多い山水図は,遠山,岩,樹木,船,家,橋,人物,月,雲雁などの描き方をみると,中国の陶磁器_それは当時の中国絵画を基礎としたものであろう一一ーに描かれたものにもっとも似通っていると言える。山下朔郎氏が既に指摘したように,明末の天啓・崇禎期の中国磁器にに丸い月(山下氏は太陽と言うが誤りと思う)を画面の端に描いたものが多い。明末の中国磁器に多いこと「太陽に関しては,当時,中国と近東の交流が盛んになり,回教をはじめ太-61-

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