鹿島美術研究 年報第6号
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17世紀後半になると,長吉谷窯などさらに多種多様な文様の製品が焼かれた窯がみら陽や火を崇拝する宗教の考え方が中国に輸入されて,皿に太陽を描かせたとする説がある」(『古伊万里と古九谷』昭43刊)と山下氏は述べている。しかし「八種画譜」(画と対になる詩文に月とある)や「図絵宗葬」をみればこれらが月であることは明らかであり,こうした明末の中国絵画の影響で中国磁器の画面にも月が描き込まれたものとみられる。そして,この中国磁器に倣った1640■50年代ごろの肥前磁器に月が描き込まれることになったのである。中国磁器を手本としていることは,皿の外側面に描かれたいわゆる裏文様の配置や文様,さらに高台内の文字銘からも追証される。皿の外側文様としては,梅折枝文,竹,藤花,つる草,花丼文,草花文,折技花文,蝶,宝,六曜文,渦(波)文,区画文,などがある。これらは中国磁器のそれと全く同じというわけではないが,もっとも類似したものは明末の中国磁器の裏文様と言える。高台内に染付された銘は,碗・皿をみると「福」,「大明」,「大明成化年製」,「大明成」,「天下太平」や方形枠内に忌喘,蒜などがある。「大明成」,帯扉を除けばいずれも明末の中国磁器にみられる銘である。「大明成」や蒜も中国磁器の銘から転化したもので,模倣が粗放なうえに安易に転化する点は,肥前磁器が中国磁器の意匠を模倣するに当っての姿勢を象徴している。窯ノ辻窯は皿・碗が主製品のため,この2器種における文様要素をみてきた。他に瓶,壺香炉などが少量あるが,窯ノ辻窯の文様要素の種類については大体,提示することができた。窯・辻窯は1630■40年代を代表する窯の1つであるから,この時期の肥前磁器の文様要素の多くをみることができたと思うが,もちろんすべてではない。れる。肥前磁器における文様の変遷など今後に残された課題は多いのである。-62 -

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