2.マネの絵画と19世紀の写真比較研究研究者:パリ第4大学博士課程三浦研究報告:マネは世代から言えば,自己の芸術の形成・確立期に写真の実用化と流行という現象に直面せざるを得なかった画家の一人である。19世紀中葉当時の写真及び写真術との関連性においてその作品を研究する上で,調査の眼目となったのは次の2点である。I)マネ自身と写真の具体的な関わりを基礎資料のレベルから綿密に洗い出す。即ち,マネは写真を撮った経験があるのか,自己の肖像あるいは作品をどの程度写真家に撮影させているのか,彼自身いかなる写真を所有していたのか等々の問題を明確化する作業である。II)マネの作品を当時の写真と比較し,その関係性を分析する。今回の調査研究で特に重点を置いたのは,再現・記録性,照明効果,被写体のポーズ・視線,書き割りとしての背景,画面の枠取りという写真及び写真術の視覚的特性との関連である。以下各々の項目について調査結果を報告する。写真を相当数所有していると述べているが,仮にそれが事実だとすれば,マネは写真撮影の経験を有したことになる。タバランの手元にあったマネに関する原資料は,現在ニューヨークのピエールポント・モーガン図書館に一括所蔵されており,筆者は資料中の写真部分を詳細に調査した。「マネによって構成された写真アルバム(アトリエにあったもの)」という題の下に,マネの主要作品50点の写真を集めたものが問題の資料と思われ,写真を貼った台数の半数以上に「マネによって撮影された写真」と鉛筆で記されている。ところがこれらの写真を,同資料中に含まれる写真家ゴデがマネの依頼に基いて作品を撮影した38点の写真と比較照合すると,双方に見られる同ー作品の写真で陰画に生じた傷が全く同じ箇所に現われている例が散見することが判明した。よって問題のアルバムはゴデが撮影した写真をマネが構成したに過ぎず,鉛筆の書き込みはタバランの判断の誤まりを示すものと推定される。もちろんこれによって当時マネが写真を撮っていた可能性が全否定される訳ではないが,写真撮影の設備と技術の習得に要する労力を考慮すると,その可能性は薄いとうべきであろう。ただしここで注目すべきことは,マネが写真を複製手段としてI) A・タバランは『マネとその作品』(1947)の中で,面家が撮影した自己の作品の-64 -篤
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