鹿島美術研究 年報第6号
91/304

II)マネの作品制作と写真との関係が最も明瞭に理解されるのは,肖像画を描く際に,(1975)中の画家の肖像写真リスト(計8点)は極めて不完全であり,筆者の知る限積極的に活用し,写真家に主要作品を撮影させている点で,パリ国立図書館版画・写真部にも同じくゴデによる同様の写真が保存されている。その内の24枚は1872年に撮影されたことが記録からわかるが,マネが既に1860年代から作品の写真を撮らせていたことは1866年のボードレール宛ての手紙からも明らかであり,写真のこうした利用法は長年の習慣であったことを推測させる。パリ国立図書館のマネ関係資料中にはこの他マネが所有していた写真アルバムが一巻存在する。マネの伝記作者モロー=ネラトンが所蔵していたこのアルバムは,マネの目が慣れ親しんでいた写真を知るために貴重な資料であるが,これまでマネ研究者によってその極く一部が引用されたに過ぎない。筆者の調査によれば,このアルバムは表裏に4枚ずつ「名刺版」写真(cartede visite)を挿入できるシート25枚から成っており,本来200枚あるべきところ数枚の欠落が見られる。全て肖像写真であり,マネ自身,家族,友人,マネの肖像画のモデルになった人物等が多数識別できる。(ちなみに画家で登場するのは,カロリュス=デュラン,A・ステヴァンス,バジール,ルノアール,ドガ,カバネル,デプータン,ヴォロン,E・ゴンザレスである。)写真家ディスデリによって考案され1850年代以降爆発的な流行を見た「名刺版」肖像写真の余波は,マネの写真アルバムまで確実に届いている訳だが,とりわけ新知見として確認すべきことは,このアルバムの中に未公表のマネの肖像写真が2枚含まれている点である。フランクとルロワによる各々全身と胸像の写真はおそらく若年期のマネを撮影したものであろう。実際,ルアールとヴィルデンシュタインが編集したマネ作品目録りそれ以外の上記の2点も入れて少なくとも5点のマネの肖像写真が存在し,詳細に調査すればその数はさらに増えるものと思われる。生涯に渡って10数回も自己の肖像を撮らせているのは,1883年に51オで世を去った19世紀の画家としてはかなり多い方であり,他方マネに自画像が少ない事実と対照的である。以上の調査から,マネが写真撮影を自ら行なったかどうかは疑問とするも,自己の肖像並びに作品を頻繁に写真家に撮らせ,また相当数の肖像写真を所有していたことが判明した。画家が写真に対して積極的な興味を持ち,写真撮影のプロセスや写真家のスタジオを熟知していたのは,写真家ナダールがマネの親しい友人であったことも考え合わせると,ほぼ間違いないであろう。65 -

元のページ  ../index.html#91

このブックを見る