鹿島美術研究 年報第6号
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ヴイジョンいるのは,—換言すればマネの絵画に伝統とは異質の「近代的」な視像がみられるあるいは特定の事件を再構成するために写真を使用する場合である。再現性,記録性に優れる写真を文字通りの源泉として用いるこうした作例は,前者についてはポー,ボードレール,クールベ,クレマンソーの肖像が,後者に関しては<皇帝マクシミリアンの処刑>が既に指摘されている。ただ,源泉とまでは言えなくとも肖像画制作の補助手段として写真を参照した場合もあるはずで,パリ国立図書館所蔵のマネの写真アルバムに含まれるロッシュフォールとデプータンの写真も各々の肖像画との関わりが考慮されるべきであろう。マネの人物画に関しては,その強い明暗のコントラストと写真に表われた同様の照明効果との類似性が漠然と指摘されてきた。筆者は今回の調査から,この問題についてはマネの友人で写真撮影に人工照明を初めて導入したナダールとの関係がとりわけ重要であるという考えを抱いた。即ち,無地の暗い背景の前に人物を置き,強い照明を当ててその顔や手を浮び上がらせるというナダールの肖像写真に特徴的な手法こそ,くギタレロ>,<剣を持つ少年>,<街の女歌手>といったマネの特に1860年代前半の作品に見られる明暗表現に最も近いのである。さらには,同一画面の中で人物や物体の影の向きが異なる例が存在することも,人工照明のもたらす効果を反映していると見なされよう。次に,人物のポーズや視点の問題については極めて興味深い比較例が発見された。上述のマネの写真アルバムには本を手に椅子に座る婦人の写真が数多く見い出されるのだが,その内の一枚は斜め左向きに座った姿勢と言い,膝の上に本を広げたまま正面をじっと見つめる視線と言い,マネの<鉄道>(1973)に描かれた女性のそれと酷似している。この写真が制作上の源泉になったと断定はできないが,それがマネの写真アルバムに存在したという事実な示唆的であり,少なくとも本を手に座す婦人という当時の肖像写真の類型にヒントを得た可能性は高いと考えられる。同様のモチーフを描いた当時のサロン絵画(例えばG・ドワヤンの<中断された読書>(1875))においては主題の持つ逸話的性格が画面を支配しているのに対し,マネの<鉄道>では物語性が極力排除され観客とそれを見つめる女性との間にある種の緊張関係が成立してのは,写真体験がかなりの程度寄与していると見なくてよいのではなかろうか。そのことは<鉄道>のみならずおそらく他の作品についても言えよう。当時の写真は露出時間が長いため,被写体が堅い表情で写真機の方を注視する様がよく表われているが,-66-

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