鹿島美術研究 年報第6号
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ヴイジョン<草上の昼食>(1863),<オランピア>(1863)などマネの代表作に登場する人物が示す表情は,観者を見つめる視線と共にいかにもカメラの前でポーズする人物を思わせるのである。またポーズそのものの類似性から言えば,マネのくブラン氏の肖像>した男性がポケットに手を入れ幾分両脚を開いて立つというポーズは,別種の肖像写真の類型の存在を予想させる。ところで,<ブラン氏の肖像>とアガードの写真の比較は,前景の人物と背景のつながりという別の問題も提起してくれる。この写真が典型的に示しているように,き割りの前に人物を置いて撮影するのは当時の写真の常套手段であった。したがって前景の人物と背景_アガードの写真では書き割りとして描かれた庭と建物一ーク)間には,一種ぎこちない不連続性が生じる。同様の視覚効果は<プラン氏の肖像>にも観察され,人物には背後の庭と正常な遠近感で調和せず,平面的な背景に貼りつけられたように見える。前景の人物と書き割り的背景との不調和という特徴はマネの他の作品にも見られ,当時批評家から遠近法の誤まりとしてしばしば批判されていた。例えば<エスパダの衣装を着たヴィクトリーヌ・ムーラン>では,虚構としてのスペインの闘牛場を背景とし闘牛士に扮したモデルが芝居がかったポーズをとっているが,両者の間には自然な連続性が欠落している。マネにおけるこのような写真的な視像は,既に高階秀爾氏が明確に指摘しておられるように,モデルを書き割りの前でポーズさせて一種の活人画を作るマネの演出的絵画構成法と密接に関連していると思われる。当時の写真家が扮装した人物を使って活人画を数多く撮影していたことは,例えばムーランの<写真習作>などを見れば明らかであり。マネの斬新な視覚表現を成立させた要因の一つが写真であることは疑い得ない。さらに,マネの作品の演出的性格を写との関連で別の側面から示す好例として,1862年に制定されたエッチング集の表紙がある。背景を閉ざすカーテンの継ぎ目からポリシネルが顔を出し,その前にギター,剣,版画等が置かれているこの作品の画面構成は,やはり今回の調査で新たに発見されたマネの肖像写真における,剣や美術品を前に並べ背後のカーテンの継ぎ目から額縁に入ったマネの肖像(写真の中の写真)が顔をのぞかせるという発想と正確に呼応している。マネはコラージュに似たその作画法を写真から学んだに違いない。最後に画面の枠取りの問題があり,マネが写真から借用したことがほぼ明白と推定される作例に即して筆者はそれを既に論じたことがある。("Lavision photographique (1880)とかアガードの撮影した自画像写真も比較可能である。双方に共通する正装-67

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