dans Combat de taureaux de Manet", ~ue ck]'Art, 79, 1988, pp.73-75)ただし3.近世初期小袖の編年史的研究今回の調査からは,断片的な切り取り構図という観点からマネの作品に結び付けられる写真は新たに発見されず,印象派における造形上の革新は写真に先行するというK・ヴァーンドーの主張とも合わせ,この問題は慎重な考察を要するという結論を得た。以上研究の成果を報告したが,19世紀に産出された膨大な量の写真資料を調査するのに時間を費したため,補足調査まで含めた当初の計画を完遂することはできなかった。しかしながら,マネと写真の関わりは予想していたよりも密接であり,画家が同時代の写真及び写真術の視覚的特性から受けた刺激を自分なりに消化し,それを絵画表現の中に生かし得たことはほぼ確かと言えるであろう。今後さらに調査研究を重ね,最終的には学術論文として成果を公表する予定である。一国内における現在作品の調査を通して一研究者:京都大学大学院博士課程佐藤理恵研究報告:本調査研究では,室町時代末期,桃山時代における染織作品の編年を目標とし,年紀を有する作品を中心に検討を行なった。諸々の事情により実調査を行なうことができない作品もあり,まだ調査研究進行中であるが,ここでは刺繍を用いた在銘の作例を概観することにより編年への足掛かりとして,報告とかえたい。尚,実見の叶わなかった作品については,止む得ず写真資料によった。室町時代後期より桃山時代の制作になる刺繍で年紀を有する作例の内,管見に及んだものは次の通りである。(1)金剛峯寺蔵舞楽装束[享徳3年(1454)銘]重要文化財に指定されている金剛峯寺の舞楽装束類は,裏地に銘文があり享徳3年の高野山天野社一切経会のために調進されたことが明らかである。刺繍は,①向蝶文様前掛,②下襲裂,③薔薇橋文様水干小袴,④松梅文様水干小袴などにみられる。同じ頃の調進になるものながら,①②と③④の間にはいささか表現上の相違が認められる。まず①②の刺繍について述べると,前掛は顕紋紗,下襲裂は綾地である。技法は前-68-
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