鹿島美術研究 年報第6号
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掛の向蝶文,下襲裂の宝相華文ともに針目の細かい平繍いにより面を緻密に繍い詰め,蝶の羽文や唐草の茎などの線の表現には纏り繍いを用いている。糸の張りはきつくないが,針目は細かく緻密である。意匠は円や方形に収まり,左右相称を基本としたまとまりのよいものである。色使いは羽の途中,葉の途中でグラデーションではなくがらりと色をかえる自由なやり方である。一方,③④の二領の水干小袴は平絹に刺繍を施している。技法は大きく渡した平繍いによる面の表現を中心として太い纏り繍いを枝や水流,欄干に,細い留め繍いを葉脈や花蕊,花弁の輪郭,橋の木目などに用いている。松の幹には留め繍いと小さな平繍いで木肌や苔を表わす特徴ある表現がみられる。総体に,非常にゆったりとした糸使いで,特に平繍いは糸の張りが極めて緩く撚りの甘い絹糸の光沢が充全に活かされている。意匠は,二領とも樹木の枝を軸とした構成である。薔薇の枝は両袖両膝に配された洲浜,水流,橋を土台に,大きく緩やかな波線状に伸び,その先端は装束の内に収まり切らず肩や袖口や脇縫いから溢れ出さんばかりに途中で終わっている。松梅も同様で洲浜から生え出し枝を交叉させて斜め上方に伸びて行く。先端はやはり肩山で切れている。興味深いのは梅の枝が松の幹から出ている点で,自然を写すことよりも意匠の効果や吉祥の想いを優先させていることが判る。同じことは,薔薇と橋,梅と松の大きさの比率が現代人の目には甚しく狂っているようにみえる点にも窺える。色使いはあまり多色ではなく橋板や葉の途中でがらりと色を変える手法がここにも認められる。①②と③④の主たる相違は,地文のある絹と平絹という生地の違いであり,細かな平繍いとゆったりした平繍いに留め繍いという中心的技法の違いであり,相称的構成と波状に伸びる構成という意匠の違いである。この3つの相違点は別個に成り立っている訳ではなく相互に関連しているであろうし,その原因には何よりもまず装束の着用の仕方,用途の違いが挙げられよう。しかし,①②の特徴が鎌倉時代の刺繍に連なるものであり③④の特徴が桃山時代とされる刺繍に連なるものであることはすぐに気付かれるところである。従って,これらの装束が制作された15世紀半ばには新旧両様の刺繍が併存していたこと,即ち15世紀中頃は鎌倉刺繍の最末期であり新しい刺繍の開始期であろうことが推測できる。小笠原小枝氏の指摘にもある通り(「染織(中世編)」日本の美術264,昭和63年至文堂),年紀などの資料がないまま桃山時代の制作とされてきた刺繍については見直しが必要であろう。尚,同じ伝来の装束は鐘紡繊維美術館にも所蔵され,半臀や袴に刺繍がみられるが,-69 -

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