鹿島美術研究 年報第6号
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綾地,細かな針目,相称的な文様から①②のグループに属すると考えられる。現状は袈裟下包であるが小袖裂を剥ぎ合わせたものと考えられる。洲浜形の縁取りがみられるので肩裾の小袖であったのであろう。裏地に墨書銘あり天文21年に下包に仕立てられたことが判る。練緯地で,技法は面を平繍いで埋めその上に葉脈を留め繍いで細く表わす。岩と楓の幹には(1)④水干小袴の松樹にみられたのと同様な点苔と木肌の表現が認められる。意匠は仕立て改えのため分かり難いが恐らくは片身替で,一方は菱格子を地文として上文に桐,根笹を配する。他方は岩,楓樹,楓葉を充填する。双方とも非常に充填的でしかも個々の文様は規則的でなくばらばらな向きに気紛れにつめこまれる。色使いは多色ではなく(1)の諸例と同じく葉を二段三段に区切って色をかえる手法をとる。(1)③④の水干小袴の刺繍と比較するならば,技法の上では殆んど大差なく異なるのは意匠である。(1)③④では松樹,薔薇樹の波状の伸展が軸となって大きく広がる構成をとるのに対し,この作例で構成の主となるのは充填された楓葉,桐葉,根笹であり,楓の幹や岩はちらちらと覗くだけで個々の文様を結び付ける役割を果たしていない。ここでは不規則な充填そのものが構成の主眼なのである。但し,文様が区画内で完結することなく中途で断ち切られて終わっている点は(1)③④と共通である。こうした相違には勿論,舞楽装束と小袖という用途,機能の違いも起因していようが,100年をおいてこのような意匠の変化は技法面の変化が殆んどないだけに重要である。片身替,肩裾といった区画分けに文様充填の構成方法は,同様の意匠が15世紀末から絵画資料に頻出することを考え併せると(1)の15世紀半ばから(2)の16世紀半ばまでに起こった展開として注意する必要があろう。現状は掛幅で2枚が対になっている。内一枚に刺繍の銘があり天正3年に奉納されたことが判る。練緯地で,技法は平繍いを主として唐草には纏り繍いを葉脈や獅子の尻尾やたてがみには留め繍いを用いる。ここでも桐と牡丹の幹に,(l)④や(2)にみられたのと同様の木肌と点苔の表現が認められる。意匠は2枚とも中央に獅子を据え,1 枚ではその上下に大きな牡丹花を他の1枚は上下に大きな五七桐紋を配し,それらを簡単に結び付けるように幹と葉のついた唐草を配する。が,その結び付きは明確ではなく獅子と植物の配置が現実的でないのは勿論,桐と牡丹の描写も写実的ではない。(2)永光寺蔵桐竹楓文様袈裟下包〔天文21年(1552)銘〕(3)鐘紡繊維美術館蔵幡裂〔天正3年(1575)銘〕-70 -

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