I. れ,それをもとにすると各像の作風上の特性を探る糸口が見出せるように思われる。そこで在銘遺品をもとに鎌倉時代を中心にして,技法構造の展開を追い,会津地方の仏像彫刻の地方的特色について考察を加えようとするものである。会津で在地の造像活動が活発化してくるのは,11■12世紀の頃からであろう。この頃の遺品には,明光寺十一面観音立像,名入観音堂天部形立像,定徳寺薬師如来坐像,泉福寺大日如来坐像などが知られている。これらの像は,すべて一木造で,頭体の像の根幹部は一材で彫出される。定徳寺像以外は,すべて内剖を施していない。平安時代後期の在地の造像技法は,ー木造が基本で,内剖を施していないものが主流を占めている。材は,欅が多いようである。鎌倉時代に入ると,その後半期に地方仏に以下のような在銘遺品を見出すことができる。1 木造薬師如来立像像根幹部の構造は,頭頂より体幹部を通して地付まで,樫の二材を耳後より体側を通る線で前後に矧ぎ,頭部より体幹部にかけて内剖を施す。両足先及び足柄は,ともに頭体幹部前部材より彫出する。桂材,彫眼,素地仕上げとする。2 木造不動明王・毘沙門天立像喜多方市勝福寺弘安2年(1279)銘不動明王は,像のほぼ中心に木心をこめた桂の一材で,頭体通して両腕をも含んで両足柄まで彫出する。背面より内剖を施している。頭頂より両頬を通る線で面部を割矧ぎ,玉眼を嵌入するが,これは後世に行なわれたもので,当初は毘沙門天像と同様彫眼であったと考えられる。なお現状の彩色は,大半後補のものであるが,銘記中に「采綸用途二十貫」とあるところから,当初より彩色が施されていたものと解される。毘沙門天も不動明王とほぼ同じ構造である。ただし両腕は,各肩部に矧ぎ寄せる。3 木造阿弥陀如来坐像田島町薬師寺像根幹部の構造は,頭部を頭頂より耳後を通る線で前後に矧ぎ,三道下で挿首とする。彫眼。体幹部は両肩より両手上膊部をも含んで地付まで,竪に前後二材を矧ぐ。内剖は,頭体ともほぼ全面に施される。桂材で,素地仕上げとする。田島町薬師寺建治4年(1278)銘3年(1305)銘-73-
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