鹿島美術研究 年報第7号
128/312

⑨ 東九州仏像彫刻史の研究_宇佐・国東における禅宗の発展と造仏について一一”研究者:大分県立宇佐風土記の丘歴史民俗資料館主任研究員研究報告:はじめにここにいう「宇佐・国東」とは,大分県北部国東半島とその付根にあたる地域,宇佐市・豊後高田市・杵築市・宇佐郡・西国東郡・東国東郡・速見郡の3市12町村の総称である。この地域は,九州東岸部にあって早くから仏教文化の栄えたところであり,とくに古代末期には六郷満山の名で呼ばれる天台宗系山岳仏教が華開いたことはよく知られたところである。しかし一方,この地域の現存寺院約450ヶ寺のうち,その4割強の200ヶ寺ほどを臨済・曹洞の禅宗寺院が占め,鎌倉時代後半から南北朝・室町時代には一大禅宗文化の発展を画したことはあまり知られていない。今回の報告では,従来ともすれば六郷満山の名のかげにかくれて見過ごされがちであったこの地域における禅宗の発展史をあとづけ,その中で展開した造仏活動の概況を現存作品を通して眺めてみようとするものである。1.三つの画期中世宇佐・国東地方における禅宗発展の歴史は,概ね次の三つの画期からなる。第一期は,鎌倉時代中期,栄西の法弟神子栄尊が宇佐八幡宮との関わりから,その周辺に円通寺をはじめとする禅院を創建,ついで大友系田原氏の庇護のもと,大応国師の直弟子絶崖宗卓が豊後高田に円福寺を創建,大応派の臨済禅が波及した時期である。第二期は,徳治元年(1306)豊後大友氏の菩提寺として,東福寺派の祖聖一国師の門下直翁智侃が豊後府内に万寿寺を開創したのを契機に,その法嗣達によって南北朝時代を通して各地に東福寺派の臨済寺院が創建していった時期である。第三期は,永和元年(1375)無著妙融の国東泉福寺創建によって,宇佐・国東に洞宗の教線の拡張がみられる時期である。以下,ここでは,第一期・ニ期,13世紀から14世紀にわたる臨済宗を中心とした禅宗の展開と造仏の状況を概観してみよう。渡辺文雄-102-

元のページ  ../index.html#128

このブックを見る