⑪ 春草作品にみられる古画の要素(中間報告)研究者:飯田市美術博物館学芸員関根浩研究報告:本調査研究では,菱田春草の初期から晩年に亘る作品に想定できる古画の要素を,できる限り実証的,具体的に読み解くことにより,彼の目指した日本画の近代化,新日本画の創造にとって,古画及び古画に内在する日本的,東洋的な美意識がいかなる影響を与えたかを明らかにすることを目的としている。方法としては,春草の画風の変遷に併行しながら,その画業を初期,中期(前半,後半)後期に大別し,各時期に顕著な特徴と古画との関係を考察する形をとった。本報告では,以上の各調査に触れるが,中期前半を特に詳述したい。初期は,さらに美術学校入学以前と以後に分けられるが,入学以前に春草は,当時美術学校日本画料の教官であり,狩野派,及び銅版画,両方を学んだ結城正明の画塾に一年間通っている。正明に関しては目下調査中であるが,遺例が少ない上,わずかに残された作品も細密描写であったり,銅版画であったりと,春草芸術とは異質のものを感じる。当時の春草の臨画から判断する限り,あくまで基礎的な画技の伝授のみであったといえよう。美術学校入学以後は,まず顕著な特色として,狩野派研究の成果がみられる。次には,古絵巻研究による大和絵の影椰である。そして,卒業の一年前には天心直々に校に呼ばれ,円山派をやってみないかといわれる。以上の各画派と春草の関係については,従来諸氏の指摘されている所であり,何も新しいことではないが,この時期にもう一つ考慮されてしかるべきと思うのが,江戸中期浮世絵との関係である。わずかに1点知られる春草の浮世絵的美人画,「桜下美人図」(明治27年,山種美術館蔵)は,勝川春章の肉筆浮世絵「桜下三美人図」(出光美術館蔵)と極めて類似している。春草が春章のそれをみたか否かについては明らかにしえないが,春章の「竹林七賢」を含む四点の作品が,明治22年に美術学校に購入の形で納まっていることを考えれば,その影騨関係も考えられないことではないだろう。従来,天心の浮世絵蔑視の故か,浮世絵との関係を考察した著述はみられないが,「寡婦と孤児」にみられる寡婦の立膝をして体を捩った姿体の表現や,柔軟でしかも張りのある着衣の表現等に,浮世絵のを指摘できるかもしれない。さて,美術学校卒業以後,中期はいかがであろうか。は,卒業と同時に天心の-109-
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