は,文学性・物語性の強い山水人物画あるいは故事人物画に属する作品である。このうち,蘇試に始まる北宋文人墨戯の性格が強い王庭笏「幽竹枯桂図巻」については,画院画家の作品が多くを占める南宋画壇以上に北宋の伝統を継承すると自負していた金代絵画を代表する作品として,改めて問題とすべきものはない。今,上述のように文人墨戯の性格が強く,空間表現の要素の少ないこの「幽竹枯槌図巻」を除く,3点の山水画ないし山水人物画の空間表現の特徴を抽出してみよう。すると,これらの作品には,北宋・南宋両山水画の範疇では理解できない造形語法の相違や造形語彙の混交が見られることがわかる。すなわち,(伝)李山「山水図」は,(伝)荊浩「匡麿図」と相似た構成を採りながら,前景の岩塊から中景の主山,後景の遠山まで,すべて遠山を画き出す手法を用いている。また,武元直「赤壁図巻」は,後景の遠山では董源・巨然の披麻跛系の跛法が,中・前景の山容では李唐の斧勢跛系の跛法が混交して用いられているのが認められる。さらに,「濾南平夷図巻」は,(伝)馬遠「西園雅集図巻」(ネルソン・ギャラリー)のような空間の統一性に欠け,むしろ我国の絵巻に似た場面転換の手法を有しており,南宋絵画ではあり得ない手法上の試みが行われている。これは,中国絵画に対する理解不足の結果と考えるよりは,むしろ中国絵画史の動向の反映と解する方が穏当と言えよう。例えば,武元直「赤壁図巻」における跛法の混交は,北宋後期以来の南北の画風の総合の傾向を承けたものと考えられる。また,「濾南平夷図巻」に見られる場面転換の手法は,唐代以来の故事人物画の旧い手法を温存していると解される。先に触れた「眠山晴雪図」が金代の作品とは考えられないのは,北宋・南宋両山水画の範疇では理解できない。このような造形語法の相違や造形語彙の混交が認められないからなのである。今回の報告においては,詳細な記述を行うことができなかったが,今後,以上のような分析を王庭笥「幽竹枯嵯図巻」,(伝)李山「山水図」,武元直「赤壁図巻」,欠名「濾南平夷図巻」等を始めとする個々の作品研究に展開させつつ,それらの作品研究を基礎として,慎重に金代絵画作品の同定を行い,金代絵画史の総合的な把握を目指してゆく計画である。さらに,その成果を両宋絵画史のより正確な理解に生かしてゆくとともに,南宋・金代絵画史に続く元代絵画史の理解に繋げてゆく端緒にできればと考えている。なお,この他,今回の調査の対象としなかった作品で,金代のものと考えられる作-114-
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