違いない。平安時代の日本では,金銀泥下絵は彩箋ばかりでなく,几帳・唐綾障子などハレの日の調度品全般に及んでいた。12世紀になると,当時の“過差風流”の美意識のもと,金銀の箔散らし技巧と合体したまばゆい金銀泥下絵がつくり出されてゆく(例えば「三十六人家集」など)。そして金銀泥のきらめく線描の美しさが再び注目され,浮上してくるのは,13世紀後半以降なのである。(2) 14世紀における様式転換卿艶詞」「枕草子絵巻」「葉月物語絵巻」などの物語絵巻の詞書料紙には,繊細な金銀泥絵の景物画が下絵として描かれている。佐野みどり氏によれば,これらには伝統的傾向と各モチーフの近接化・装飾化がはかられる新しい傾向の二つの流れが認められるという。個々のモチーフについてはそうであろうか,画面構成からみれば,遠景と近景による二層的な空間構成が,これらの絵巻の料紙下絵を特色づけている。そしてこのような空間構成は四辻秀紀氏が紹介した「西塔院勧学講法則」(貞和5年・1349)にも一層強調化してみられ,それは近景と遠景の景物を対比的に把える京極派歌人の作画法にも通じると指摘される。さて,この「西塔院勧学講法則」の姉妹ともいえる「湯次講表白残巻」(観応2年・1351)を見出したので紹介しておきたい。両者とも,巻末にる。新出本は後半部分にあたる三紙のみ残り,秋から冬までの物淋しい景物で構成されているが,両者とも同一の環境で制作されたものとみられる。遠景の松や柳,棚引<霞雲,そよぐ近景の秋草,千鳥の群れ。「太田切」以来の伝統的モチーフが理知的に構築された空間のなかで四季の気象の変化にゆれ動き,じさせる。13世紀後半から14世紀前半にかけては,金銀泥下絵の世界にきらめくように鋭い感性が投影された時代であったようである。さてこのような繊細な景物表現は,14世紀中葉以降になると,二層的な空間構成が打ち破られ,拡大化した近景のみの描写へと変化し始める。後円融院哀翰「新撰朗詠抄」の金銀泥で隈取られた秋草描写と,新出本のそれとの差は歴然であろう。そしてこのクローズアップし,横長の画面を華麗に多少俗っぼく彩る景物表現は,むしろ15世紀以降の主流となってゆく。その変容の背景には,14世紀後半の自然観や美意識の大幅な変革が窺われる。13世紀後半から14世紀前半にかけて制作されたとみなされる「伊勢物語絵巻」(生没年不詳)の識語あり,金銀泥下絵の様式も近似していの自然観照の深まりを感-117-
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