(4) 雨を表わす斜線や吹墨風に描かれた雪の飛抹など,自然気象への関心がみられる。(4) 宗達へのつながりと断絶cm), とりわけ梅に鶯を描いた第四の初折表と「雀の発心絵巻」は非常に近い表現となっている。“室町ごころ”を伝える小絵の出現と絵懐紙の盛行は交渉しあうのではなかろうか。ただし14世紀前半の繊細な諸作例に比べ,ずっとラフに描かれる。そうした点にも室町的な感覚が窺われる。近世初期にも連歌懐紙は制作されている。ただ料紙装飾としての新しい動きは,近衛信手や本阿弥光悦の周辺で現われる。その新しい動きをひと口でいうと金銀を線的に使うのでなく,面的に使う傾向が顕著となっていくことである。前者の場合,それは型を用いた金銀の箔散らしとなって現われ,後者の場合は,金銀泥摺絵と金銀泥の没骨描という独創的な手法となって現われる。光悦=宗達の料紙下絵は室町時代の連歌懐紙と景物主題であること,モチーフを近接拡大化して把える視角の二点でつながるものの,自然気象への関心を全くもたない,モチーフを取りまく環境よりもモチーフそのものの形態の運動に強く魅かれている。そしてそのことは従来より指摘されているように,下絵からの逸脱を意味していたのである。日本における金銀泥下絵の歴史の挿尾をかざるユニークな宗達の金銀泥絵は,江戸時代以降流行する花丼雑画巻の出発点でもある。下絵と絵画の接点に位置するその存在が,まさに宗達作品の芸術的,史的価値を高めているのである。最後に昨秋調査することのできた中国元時代の「波涛図」(ハーバード大学,A・サクラー美術館蔵)と宗達筆「松島図屏風」の両者における金泥波線の効果について比較し,本報告の結びとしたい。小さな円窓形に描かれたこの「波涛図」は,波が左から右に押し寄せる様態を示し,いわゆる銭塘観潮図とみられる作品である。波線の重なりをよく見ると墨線とともに金泥線が細やかに引かれているのに気づく。それは月光を浴びてきらめく波を暗示しているようである。このような自然主義的な金泥使用に対して,宗達の「松島図」の金泥線は,金という素材のもつ力が,そのままに波涛の動勢となって観者を圧倒する。強いていえば,陽光を意識しているともいえるが,それよりも金のもつ超自然的なパワーが溢れているのである。同じ波涛を描くとはいえ,一方は銭塘観潮という現実の自然現象を描き,他方は遠く海方浄土を暗示する象徴的な表現となっている。その相違が金泥波線の効果を全く違ったものにしているの120-
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