鹿島美術研究 年報第7号
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⑭ 阿弥陀来迎図の成立と展開に関する調査研究一迎講儀式との関連を通して_研究者:京都大学大学院文学研究科美学美術史学専攻博士課程研究報告:1.迎講の創始阿弥陀聖衆の来迎を演劇的に表現する迎講は『大無量寿経』『観無量寿経』等にある来迎に関する所説を思想的基盤とするものであることはよく知られている。但し,これら経典では来迎について極めて簡略な記述がなされているに過ぎない。特に迎講の儀式進行上重要な音楽に関しては,経典になに一つ言及がなされていない。迎講では奏楽菩薩が行道を行ない音楽を奏するのであるが,死に際しての救済である来迎に音楽が伴われる根拠はどこに求められるのだろうか。一つの仮説として,その音楽の源泉を古代の葬送儀礼に求めることができるように思われる。即ち,埴輪に見られる歌舞音楽の像が葬儀の風姿を直接に模したものであるかどうかは不明であるものの,文献によれば古くは『日本書紀』において伊邪那美神の神避りの際に「鼓吹幡旗を用て,歌ひ舞ひて祭る」とあるのに始まり,允恭天皇や天武天皇のダ賓宮にて歌舞がなされた記録があるのが注目される(註1)。我国における来迎信仰を示す初見記事として源豊宗氏が紹介した(註2)『続日本後記』承和四年の元興寺僧護命卒伝に「時同寺僧善守欲致問訊自石上寺尋向此到少塔院元興寺内護命終焉慮聞微細音声勢脈院裏可謂浮刹所迎天人之楽也」とあるのは,この古代の葬儀の音楽と来迎する天人のイメージが重ねられたものと推察される。また『本朝新修往生伝』近江国一老女は自身の臨終行儀に京から楽人を呼び寄せているが,これも古代の葬礼の音楽の伝統に沿う行為と捉えられるのである。こうした我国の文化的伝統の中にあって『往生要集』の筆者恵心僧都源信は―三昧会結衆の力を借り,極楽浄土信仰を鼓舞するための宗教儀式として迎講を創始したものと考える。迎講儀式が源信により実施されたことは『本朝法華験記』ほか種々の史料に説かれている。2.迎講の流行源信により比叡山横川において始められた迎講は,その後またたく間に日本各地の寺院で修されるようになる。その実態は本文付録の別表[迎講略年表]に示した通りである。加須屋誠-122-

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