3.来迎図と迎講の関係各地の迎講に関する記録を読んでみると,この儀式が当初より極めて壮麗で華やかなものであったことが分かる。例えば別表中(4)の丹後国で行なわれた迎講では国守大江清定が舞人楽人を呼ぶための資金援助をしていること,(10)の永観による中山吉田寺迎講では菩薩装束二十具を揃え,(15)の重源による渡辺別所迎講ではさらにそれ以上の装束類が用意されていること,さらに(23)の事例では迎講が修された後わざわざその装束を宮中で天覧に供していること,などが見える。このように華美な儀式であった迎講が経典の記述では曖昧であった来迎を人々に具体的に視覚聴覚を通じて認識させ,その有難さを宗教的な幻想性をもって教えたことは疑う余地のないことである。阿弥陀聖衆の来迎を絵画によって具体的に示す来迎図もまた源信によって制作が始まったことは『後拾遺往生伝』平維茂伝などの記録から窺い知ることができる。但し,この源信発案の来迎図が当初いかなる図様であったのかは文献の伝えるところではない。むしろ現存する来迎図諸作品をみてみれば,例えば高野山有志八幡講十八箇院本(以下,高野山本と略す)を代表として,阿弥陀観音勢至の三尊を中心に奏楽菩薩を伴い雲に乗り飛来してくる場面を描いた遺品が多数残されている。こうした来迎図に,古代中世を通じ盛んに修されていた来迎の演劇的表現である迎講儀式の有様が,図様として反映される可能性は極めて高いと考えられる。例えばまず奏楽菩薩について考えてみることにしよう。来迎図に描かれた菩薩の持す楽器には浄土変や曼荼羅など先行する別の絵画作品から図様の借用を行なったものがみえる。例えば高野山本に描かれた笙篠。これには先端に三鈷杵が付くことから,金剛界曼荼羅三昧耶会中の金剛歌菩薩の図像を継承したものであることが分かる。しかしまた,同じ高野山本に描かれた笙は本図が制作された当時実際に使用されていた楽器をそのまま画中に取り込んだものである。即ち,岸辺成雄氏の研究によれば(註3)敦燈壁画あるいは当麻曼陀羅等先行絵画作例に描かれた笙はいずれも長い嘴状のものが付いているというのだが,高野山本の笙にそれは見えない。本図において菩薩は口を直接楽器に当てて演奏しているのである。これなどは迎講儀式において用いられていた楽器,実際に行なわれたその演奏の様を画面に再現したものであるだろう。高野山本は奏楽菩薩全員を打楽器・弦楽器・吹奏楽器という具合にパート毎にわけて配置していることが一目瞭然の図様構成をとるのだが,そのために本図は極めて実感的に音_123-
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