鹿島美術研究 年報第7号
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期記西法因(3) 岸辺成雄氏『東洋の楽器とその歴史』(4) この地獄極楽図屏風の図様と迎講の関係については,平成二年七月美学会西支部No 時1 10世紀末2 長徳三年(997)以前*源満仲出家に際して源信,満仲邸宅にて迎『今昔物語』巻193 寛仁三年(1019)以前*六波羅蜜寺・雲林院にて菩提講と迎講が『栄華物語』うたがひ4 11世紀前半5 天安二年(1046)以前*大江挙周,一堂を建立し迎接を修する。『続本朝往生伝』6 天喜四年(1056)7 延久年門1069-1074) 曲を演奏する。8 承暦四年(1080)1 1 永久二年(1114)12 大治四年(1129)13 保延二年(1136)14 久安年門1145-1150) す15 建久八〜建仁元年*重源,東大寺播磨別所や渡辺別所等にて『南無阿弥陀仏作善(1197-1201) 迎講をたびたび修する。後鳥羽上皇,それ集』『百練抄』等例会(於同志社大学)にて口頭発表を行なう予定である。別表[迎講略年表(抄)]*源信迎講を考える。講を修する。修される。*丹後国にて迎講が修される。*讃彗通寺にて楽人を招聘し十月十五日『讃岐善通寺司案』を修する。*大法師頼逼,毎月十五日往生講を修し楽『拾遺往生伝』巻下*五条河原にて迎講が修される。時華な絹織の菩薩装束二十具が用意された。*堀川中宮篤子の墓所にて迎講が修される『後拾遺往生伝』巻上夢告あり。* 鱈俊清の臨終に際して聞こえた音楽は『後拾遺往生伝』巻中寺の迎講の如きものであった。*鳥羽勝光明院扉に迎講の絵が描かれる。『本朝続文粋』*出雲。鳥上羽人法, 四天王寺にて迎講をたびたび修『台記』『天王寺旧記』皇,それを参詣す。を参詣する。出典史料『首榜厳院二十五ニ昧縁会華集過験』去記等』帳i 『本朝私衆百『今昔物語』巻15『沙石集』巻10等『水左記』法隆寺所蔵菩薩面銘『開浦院僧解』-126-, 康和四年(1102)頃*この頃法隆寺にて迎講が修される。10 天永元年(1110)頃*永言中山吉田寺にて迎講を修する。この『拾遺往生伝』巻下

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