161正治元年(1199)以後I*願行坊,源頼朝追善のために七日の迎講及1「述I裂紗j171建保元年(1213)f百練抄』181安貞三年<1229)I*三浦三崎沖にて船を用いた迎講が修され『吾妻鏡』191嘉貞二年(1236)頃I *承園僧上,大原西林院にて迎講を修する。『述懐紗』201仁治三年(1242)I*平経高,自身の邸宅にて迎講を修する。儀1『平戸記』211貞和二年(1346)22I長禄三年(1459)頃1*この頃当麻寺にて毎年迎講が修される。「大乗院寺社雑事記』231長亨二年(1488)び鎌倉稲瀬川にて長日迎謡を修する。*京都清水寺にて迎講が修される。る。僧上没後,迎講は年中行事化する。式の際,自身の肖像彫刻をつ〈り,蓮台に載せる儀を行なう。*大原にて迎講が修される。*横川けたゐ院にて迎講が修される。儀式『御ゆとの>上の日後,天皇は迎講装束を宮中に取り寄せ拝見記Jする。『北条九代記』[慕帰絵詞』-127-
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